てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第467号-2(Essay 538)

2024年11月10日

がじまん第467号-2(Essay 538)

ハチナナギョオー
與那覇勉
 
 その昔、若者に圧倒的人気のラジオ番組があった。FM沖縄のポップンロールステーションだ。ロバート&シェリーとケン&マスミが交互に担当していた。私はシェリーの大ファンだった。
 ある時期から変わった事がバカ受けした。シェリーが番組の冒頭でFAX番号を案内する時にエコー付きで「ハチナナギョオー(875)」と叫んでから、1002です、と小声でしめる。ただそれだけの事だ。
 ある日私はホテル用の木製パネル看板を作っていて、合板を釘でとめる作業中「ハチナナギョオーは〝無しよ〟」との声にガクッときて手元が狂い、釘じゃなく指をハンマーで強く打ち付けてしまった。あまりの指の痛さにすぐにその模様をファックスで送った。「無しよ」は今後やめてほしいと、そしてついでに安谷屋真理子さんと多喜ひろみさんに〝ハチナナギョオー〟を叫んでもらったら思い残す事はないとの旨も書き加えた。
 この一枚のファックスが大反響をよぶことになった。早速番組からお二人に打診すると、安谷屋真理子さんは軽く引き受け「ハチナナギョオー」と雄叫びを上げ、何事もなかったかのように去っていった。が、多喜さんは、これまで積み上げてきた自分のイメージが総崩れになってしまうと、頑なに拒んだ。そこで「多喜ひろみにハチナナギョオーをいわせる大作戦」というのが長期にわたってくりひろげられた。作戦は困難を極めたが、照屋林賢さんや津波信一さんをも説得に加えるなど努力を重ね、どうにか口説き落としてとうとう実現する事になった。その日は満を持して一時間の特番が組まれた。
 その際、ディレクターの東風平朝成さんから連絡があり、「あなたがこの事案の発端になったのだから、電話を通してコメントをしてくれないか」と言われた。大変な事になってしまったと思いながらも反面嬉しくもあり、運転中にコメントを練習したりした。結局番組で電話を通して三分程たどたどしく語った。コメントの次がいよいよメインの雄叫びである。多喜さんは実に爽やかに「ハチナナギョオー、ヤッホー、ヤッホー」とシェリーも顔負けの雄叫びをあげ、軽々と試練を乗り越えた。その時の心境を問われ、「与那原のミーハーおじさん(私のラジオネーム)のコメント一つで私は快諾したと思います」と私が歓喜の涙、番組スタッフが無念の涙を流しそうなことを言われた。さすがFM沖縄の看板アナウンサーだと、その配慮の深さに感服した。
 この特番はカセットテープに収めてあるので、久しぶりにロバート&シェリーのかけ合いを聴いた。その切れ味の鋭さはまったく色褪せてないし、今でも十分通用することを実感した。やらせバリバリのおバカな事に真剣に取り組むお二人に敬服し、感謝の念に堪えない。



タグ :與那覇勉

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:01 │会報がじまん