てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第363号

2017年08月05日

がじまん第363号

なぜ売れる? 長寿者たちのエッセイ
我那覇明

 この夏、めでたく後期高齢者の仲間入りをした女房宛てに、高校の同期生で、別府に住むAさん(女性)から郵パックが届いた。
地元の銘菓と一緒に、三冊の本が入っていた。女房が並べた本のタイトルを見ると、三冊とも冒頭に年齢が表記されている。
『九十歳。何がめでたい』
『100歳の精神科医が見つけた心の匙加減』
『百三歳になってわかったこと』
 作家、佐藤愛子さんの『九十歳……』はベストセラーとしてよく知られている。『100歳……』は現役の精神科医、高橋幸枝さんのエッセイ。「頑張りすぎず、自分を甘やかしすぎず、匙加減を見極める眼力こそ人生の要諦」と説く。『百三歳……』は墨で抽象表現をする美術家として有名な篠田桃紅さんの作。「枠に捕らわれない自由な生き方」を強調する。三人とも女性で、現役というのが共通している。紙幅の関係で、エッセイの内容を紹介できないが、九十歳、百歳になって初めて見えてくる世界があることがよくわかる。
『文芸春秋七月号』の「90歳? 年齢なんか忘れなさい!」という対談で、英文学者・エッセイストの外山滋比呂さんが興味深い発言をしている。
――『九十歳。何がめでたい』がベストセラーになった影響か、最近は僕の本も帯に「九十三歳の」とか、やたらと年齢が強調されるようになった。編集者がその方が売れると考えたのでしょう。僕はああいう帯を喜ぶのは、七十代だと踏んでいるんです。七十代は高齢者への第一歩を踏み出したばかりで、まだ高齢者に憧れがある。――
 七十代が夢多き青年のように思えて、嬉しくなってくる。前途洋々、人生は長いと信じたくなる。
ここまで書いたとき、テレビで日野原重明さんの訃報が流れた。百五歳、生と死をテーマにした執筆を続けていた。「まだまだ、百歳から始まる。あと十年頑張る」と語っていた。ご冥福をお祈りしたい。
「百寿者」は年々増えているという。そのうち、『百十歳になってわかったこと』というエッセイが刊行されるかも知れない。高齢化時代、読者は無数(?)である。七十代、八十代の後輩たちに夢を与え、生き方の模範を示してくれる「長寿者のエッセイ」。今後の発展に期待したいものである。


タグ :我那覇明

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん