2017年09月05日
がじまん第365号
「ハクソー・リッジ」を観て
先日、おもろまちのシネマQで「ハクソー・リッジ」と題する映画を観る機会を得た。
今から七十二年余り前の沖縄県浦添市の前田高地が舞台となっており、実話らしい。新聞紙上の小さな広告が目に留まり、スケジュールを繰り合わせて出かけた。
主人公は熱心なクリスチャンで、衛生兵として志願し、入隊の際に「自分は銃を持てない。人を殺せない」と上官に申し出る。「殺(や)られたら殺(や)りかえすものだ。聖書にもあっただろう」と上官は聞き入れない。しかし主人公は、「聖書の新約には、右の頬を打たれたら、左の頬も打たせなさないとあります」と譲らない。結局、入隊をあきらめさせようとする周囲の圧力や、様々ないやがらせを克服し、あらゆる災難を潜り抜け、入隊することができた。そして、婚約者と結婚式を挙げることも出来た。
画面は激戦地の沖縄に変わった。前田高地は絶壁の断崖で、容易には登れない。その崖が鋸のような形状であることから、米軍はハクソー・リッジと呼んでいた。頂上は日本軍が占領し、空にも米軍と日本軍機が飛び交っている。激しい戦闘の場面と爆音が続く。米兵は網のはしごで頂上に辿り着く。
頂上の南側には首里や那覇、南風原などがあるのだろうが、すぐ近くでさえ爆弾の粉塵や、飛び交う破片などに覆われている。遠くで、ひめゆり部隊の姉たちや、一中健児の兄たちも、生まれてはじめての軍隊生活に励んでいたはずである。
涙で目がかすんだか、画面は紅(くれない)にぬりつぶされ、爆音は心臓をしき叩く。
主人公の衛生兵は、弾の飛び交う中を、不思議と弾にも当たらず、生存している負傷者を確認し、崖下までロープで下ろすと、負傷者は衛生室に運ばれていく。それを何度も繰り返す。日本兵の負傷者も近くに居るので、助けるだろうかと、気を付けたつもりだったが、私は気が付かなかった。
私たち沖縄の者にとって、味方は日本軍なのに、観ていると不思議な気持ちになった。アメリカ兵も日本兵も、誰も殺されてはならない。みんな生きていてほしい。もう戦争はしないで欲しい。叫びたい思いを抑え、この映画を観終えた。
実録映画ではないが、臨場感を呼び起こすまでに場面が展開されている。
欲を言えば、日本や現地沖縄の俳優たちにも出演して貰って、日米琉友好作品に仕上げて下されば如何でしたでしょうか。など、色々と思わされる映画でした。
喜舎場紀江
先日、おもろまちのシネマQで「ハクソー・リッジ」と題する映画を観る機会を得た。
今から七十二年余り前の沖縄県浦添市の前田高地が舞台となっており、実話らしい。新聞紙上の小さな広告が目に留まり、スケジュールを繰り合わせて出かけた。
主人公は熱心なクリスチャンで、衛生兵として志願し、入隊の際に「自分は銃を持てない。人を殺せない」と上官に申し出る。「殺(や)られたら殺(や)りかえすものだ。聖書にもあっただろう」と上官は聞き入れない。しかし主人公は、「聖書の新約には、右の頬を打たれたら、左の頬も打たせなさないとあります」と譲らない。結局、入隊をあきらめさせようとする周囲の圧力や、様々ないやがらせを克服し、あらゆる災難を潜り抜け、入隊することができた。そして、婚約者と結婚式を挙げることも出来た。
画面は激戦地の沖縄に変わった。前田高地は絶壁の断崖で、容易には登れない。その崖が鋸のような形状であることから、米軍はハクソー・リッジと呼んでいた。頂上は日本軍が占領し、空にも米軍と日本軍機が飛び交っている。激しい戦闘の場面と爆音が続く。米兵は網のはしごで頂上に辿り着く。
頂上の南側には首里や那覇、南風原などがあるのだろうが、すぐ近くでさえ爆弾の粉塵や、飛び交う破片などに覆われている。遠くで、ひめゆり部隊の姉たちや、一中健児の兄たちも、生まれてはじめての軍隊生活に励んでいたはずである。
涙で目がかすんだか、画面は紅(くれない)にぬりつぶされ、爆音は心臓をしき叩く。
主人公の衛生兵は、弾の飛び交う中を、不思議と弾にも当たらず、生存している負傷者を確認し、崖下までロープで下ろすと、負傷者は衛生室に運ばれていく。それを何度も繰り返す。日本兵の負傷者も近くに居るので、助けるだろうかと、気を付けたつもりだったが、私は気が付かなかった。
私たち沖縄の者にとって、味方は日本軍なのに、観ていると不思議な気持ちになった。アメリカ兵も日本兵も、誰も殺されてはならない。みんな生きていてほしい。もう戦争はしないで欲しい。叫びたい思いを抑え、この映画を観終えた。
実録映画ではないが、臨場感を呼び起こすまでに場面が展開されている。
欲を言えば、日本や現地沖縄の俳優たちにも出演して貰って、日米琉友好作品に仕上げて下されば如何でしたでしょうか。など、色々と思わされる映画でした。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん