2017年11月20日
がじまん第370号
「がじまん」に思う
秋とはいえ、野山も里も、ガジマンの緑でいっぱいである。「ガジマン」は、「ガジマンギー」というのが普通であろう。わが国では、屋久島、種子島が北限だという。この木は、特に、沖縄の土壌にほれこんだのか、沖縄の各地に、しっかりと根を下ろしている。
「ガジマンギー」は、幹や枝から多数の「気根」を出し、それがどんどん伸びて地表に達すると、そのまま地中へと伸びていき、やがて、地中で「支柱根」となる。それとともに、地上の幹や枝は、どんどん成長して葉をいっぱいつけ、快適な木陰を作る。そして、涼風を誘いながら、そこに住む人々の日常生活と、密接に結びついている。
「ガジマン」というと、名護の「ヒンプン・ガジマル」を思い浮かべる。かつて、名護に住んでいたことがあるセイだろうか。そういえば、天底小学校の「学者ガジマル」もすばらしい。金武小学校には、「連理の枝」をなしているガジマンがあった。なお、八重山には「千本足ガジマル」というのもあった。
でも、疑問がある。沖縄の印刷物には、「ガジマン」・「ガジマル」という表記よりは、「ガジュマン」とか「ガジュマル」といった、舌を噛みそうな表記が多い。なぜだろうか。沖縄の植物に造詣の深い何名かの方に、「ガジュマル」と表記する根拠を尋ねたことがある。しかし、納得のいくような解答は得られなかった。幼いころ、「ガジマンギー」の老木には、キジムナーが住みつくという話を聞いたが、その時も、「ガジュマンギー」とは聞いていない。
「沖縄エッセイスト・クラブ」の会報名は「がじまん」である。かつて、この会報名を、会員から募った。だが、何の提案もなかった。そこで、「がじまん」を提案し、了解を得た。その呼称には、沖縄エッセイスト・クラブも、「ガジマンギー」のように、強靭さと包容力を基に、豊かな木陰を作り、世に涼風が送れるような組織になりたいとの願いがこめられている。つまり、会員各自の感性・個性を大事にしながら、沖縄の風土に合った、エッセイを目指すことを表明したつまりである。
ところで、沖縄エッセイスト・クラブの結成は、一九八二年(昭和五七年)九月一三日である。そして、会報・「がじまん」の創刊号が出たのは二〇〇二年(平成一四年)十月一三日である。当初、この「一三」という数字の一致は、偶然だろうと、さして、気にもとめなかった。ところが、私が、「がじまん 一号」に執筆したのも一三日であった。
とにかく、偶然であれ、必然であれ、不思議である。そう思いながら、「がじまん」の回想で、偶然論・必然論・因縁論と、想像(創造)のイメージは拡がるばかりである。
島元巖
秋とはいえ、野山も里も、ガジマンの緑でいっぱいである。「ガジマン」は、「ガジマンギー」というのが普通であろう。わが国では、屋久島、種子島が北限だという。この木は、特に、沖縄の土壌にほれこんだのか、沖縄の各地に、しっかりと根を下ろしている。
「ガジマンギー」は、幹や枝から多数の「気根」を出し、それがどんどん伸びて地表に達すると、そのまま地中へと伸びていき、やがて、地中で「支柱根」となる。それとともに、地上の幹や枝は、どんどん成長して葉をいっぱいつけ、快適な木陰を作る。そして、涼風を誘いながら、そこに住む人々の日常生活と、密接に結びついている。
「ガジマン」というと、名護の「ヒンプン・ガジマル」を思い浮かべる。かつて、名護に住んでいたことがあるセイだろうか。そういえば、天底小学校の「学者ガジマル」もすばらしい。金武小学校には、「連理の枝」をなしているガジマンがあった。なお、八重山には「千本足ガジマル」というのもあった。
でも、疑問がある。沖縄の印刷物には、「ガジマン」・「ガジマル」という表記よりは、「ガジュマン」とか「ガジュマル」といった、舌を噛みそうな表記が多い。なぜだろうか。沖縄の植物に造詣の深い何名かの方に、「ガジュマル」と表記する根拠を尋ねたことがある。しかし、納得のいくような解答は得られなかった。幼いころ、「ガジマンギー」の老木には、キジムナーが住みつくという話を聞いたが、その時も、「ガジュマンギー」とは聞いていない。
「沖縄エッセイスト・クラブ」の会報名は「がじまん」である。かつて、この会報名を、会員から募った。だが、何の提案もなかった。そこで、「がじまん」を提案し、了解を得た。その呼称には、沖縄エッセイスト・クラブも、「ガジマンギー」のように、強靭さと包容力を基に、豊かな木陰を作り、世に涼風が送れるような組織になりたいとの願いがこめられている。つまり、会員各自の感性・個性を大事にしながら、沖縄の風土に合った、エッセイを目指すことを表明したつまりである。
ところで、沖縄エッセイスト・クラブの結成は、一九八二年(昭和五七年)九月一三日である。そして、会報・「がじまん」の創刊号が出たのは二〇〇二年(平成一四年)十月一三日である。当初、この「一三」という数字の一致は、偶然だろうと、さして、気にもとめなかった。ところが、私が、「がじまん 一号」に執筆したのも一三日であった。
とにかく、偶然であれ、必然であれ、不思議である。そう思いながら、「がじまん」の回想で、偶然論・必然論・因縁論と、想像(創造)のイメージは拡がるばかりである。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん