2018年05月05日
がじまん第381号
言ってくれればよかったのに
私は国内への小旅行を好むため土産話も小粒。目的地を自ら定めて急行する大胆さはなく、用事が発生した時に往きか帰りにその場周辺に寄り道する程度なので、旅の語らいの場でも小声で済まし、他人の自慢の声を羨むのが多い。
ただ、同じ場所へ行った報告の中でその人が見逃していたことが分かり、つい口出しをしてその人を悔しがらせる場面を作ってしまうことがあり、微妙に優越感を味わったりする。
その①
教職現役の頃四、五名で夏休みにどこどこへ行ったという話の中で、仙台で三泊して存分に周遊した教頭の話は四〇分にも及び聴く者を見渡して陶酔の面持ちであった。その夏私は山形の天童市に行く途中に仙台市の青葉通りを散策した。全く初めての地なので通りを歩くだけであったが、「荒城の月」の作詞者・土井晩翠の生家跡と立札があったので入ってみた。そのことを呟いた。
すると、教頭がキッとなって見据えた。
「三日も泊ったのにホテルの人は晩翠の生家跡があるとは言わなかった。言ってくれればよかったのに、絶対に観たのに」
その②
北海道を右廻り、左廻り、内陸部と三度もツアーで巡ったという彼女の口調は滑らか、瞳には北国の情景が満ちて気品を漂わせていた。
「旧・青山別邸も観たんですよね」
私が言うと首を傾げた。
「小樽に在る、日本海を見おろす、北の美術豪邸ですよ。にしん漁網元も19歳の少女が金に糸目をつけずに画家や書家に、ふすまに描(書)かした、13枚の襖絵にはびっくり仰天でした」
〝どのコースにもなかった〟彼女の放心した瞳に私は沈黙した。私は一度だけの小樽の旅でタクシーで連れて行かれただけだった。
その③
県内の私立中学校の修学旅行(新潟県湯沢町でのスキー教室一週間)での引率をした教師に、「川端康成の『雪国』の舞台だから、康成が作品を書いたホテルの部屋も覗いたんだろ」と聞くと、「聞かなかった。生徒たちをスキー場に放り出してホテルでのんびりだった。命薬(ぬちぐすい)の一週間だった」とさわやか。
私はどこかからの帰りに列車を降りて「雪国」の碑を見ているとき居合わせた観光客から康成のホテルの間を聴き、観に行った。映画の岸恵子よりも艶やかな駒子のモデルの写真に大きく頷いた。康成が惚れたのに納得した。
宮里尚安
私は国内への小旅行を好むため土産話も小粒。目的地を自ら定めて急行する大胆さはなく、用事が発生した時に往きか帰りにその場周辺に寄り道する程度なので、旅の語らいの場でも小声で済まし、他人の自慢の声を羨むのが多い。
ただ、同じ場所へ行った報告の中でその人が見逃していたことが分かり、つい口出しをしてその人を悔しがらせる場面を作ってしまうことがあり、微妙に優越感を味わったりする。
その①
教職現役の頃四、五名で夏休みにどこどこへ行ったという話の中で、仙台で三泊して存分に周遊した教頭の話は四〇分にも及び聴く者を見渡して陶酔の面持ちであった。その夏私は山形の天童市に行く途中に仙台市の青葉通りを散策した。全く初めての地なので通りを歩くだけであったが、「荒城の月」の作詞者・土井晩翠の生家跡と立札があったので入ってみた。そのことを呟いた。
すると、教頭がキッとなって見据えた。
「三日も泊ったのにホテルの人は晩翠の生家跡があるとは言わなかった。言ってくれればよかったのに、絶対に観たのに」
その②
北海道を右廻り、左廻り、内陸部と三度もツアーで巡ったという彼女の口調は滑らか、瞳には北国の情景が満ちて気品を漂わせていた。
「旧・青山別邸も観たんですよね」
私が言うと首を傾げた。
「小樽に在る、日本海を見おろす、北の美術豪邸ですよ。にしん漁網元も19歳の少女が金に糸目をつけずに画家や書家に、ふすまに描(書)かした、13枚の襖絵にはびっくり仰天でした」
〝どのコースにもなかった〟彼女の放心した瞳に私は沈黙した。私は一度だけの小樽の旅でタクシーで連れて行かれただけだった。
その③
県内の私立中学校の修学旅行(新潟県湯沢町でのスキー教室一週間)での引率をした教師に、「川端康成の『雪国』の舞台だから、康成が作品を書いたホテルの部屋も覗いたんだろ」と聞くと、「聞かなかった。生徒たちをスキー場に放り出してホテルでのんびりだった。命薬(ぬちぐすい)の一週間だった」とさわやか。
私はどこかからの帰りに列車を降りて「雪国」の碑を見ているとき居合わせた観光客から康成のホテルの間を聴き、観に行った。映画の岸恵子よりも艶やかな駒子のモデルの写真に大きく頷いた。康成が惚れたのに納得した。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん