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2018年11月05日

がじまん第393号

これ如何に
内間美智子

 いきなり、記憶の機能が止まった。ある単語が思い出せない。思い出そうとすればするほど忘却の淵へ落ちていく。気持ちを切り替えなくては…。思い出すことをひとまず休む。だが、気がつけばあれば何といったっけなあと懸命に記憶を手繰っている。カタカナだ。「〇〇ー」と、伸ばす記号がついたはず。「世論」とか「大衆」に近い気がするので辞書を引いてみたが、相当する横文字語は出てこない。
 三日三晩喘いで、三日目の夜中に夢を見た。「思い出したあ!」と叫んでいた。ところが朝目覚めたら記憶に残っていない。夢だったのかとがっかりしたが、枕元に目を落とすと、何ということだろう、メモ用紙に横書きで「アンケート」と書いてあるではないか。そう、アンケート、忘却の淵から浮かび上がってきたのはこの単語だ。大事な探し物が見つかった時の安堵と喜びを感じた。携帯電話や電子辞書と一緒にメモ用紙を枕元に置く習慣が功を奏したようだ。でも書いた憶えがない。これまた厄介だ。長田さんではないが、「わたしバカよねえ……」と歌いたいくらいだ。バカの意味する内容は歌のような可愛いものではないが。
 わがエッセイスト・クラブには、お医者様が何人もいらっしゃる。精神科医も。
 先生! 診断して教えてください。これは認知症なのでしょうか。何か手当が必要でしょうか。

 この事件から数週間が過ぎた時、また不安な事が起きた。よく、年をとると時の経過を速く感じるようになるというが、まさにそれを実感する事であった。
「昨夜は日記も書かずに寝ちゃったなあ」と呟いてノートをめくると、なんと今日の前が三日間も空白ではないか。昨日、一昨日、一昨昨日の行動を思い出さなくてはならない。
まず手帳の予定表を見る。携帯の歩数計で外出先を思い出す。受信・送信の内容を見る。財布の中のレシートで外出先や買ったものを思い出す。
 遠い日の方から思い出すとしよう。歩数計を見ると一昨昨日は六一九三歩。識名のいしだ文栄堂まで行った日だ。レシートを見ると「文芸春秋」十月号と他一冊を買っている。一昨日は南ふうさんとのメールのやり取りがあり、その日ふうさんが仕事の帰途に寄って、「がじまん」十月五日号の原稿を届けてくれた。そして文芸春秋十月号掲載、稲嶺恵一さんの「翁長雄志 本土に伝えたかった沖縄の誇り」について二人で合評を楽しんだ。昨日は、台風24号接近の中、久し振りに帰省した姪っ子夫婦を囲み首里殿内にて食事会。これで、三日間の流れがはっきり見えて、ああ快感。
 それにしても、これほどいろいろあった三日間を一日と感じたこと、これ如何に。


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