てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第396号

2018年12月20日

がじまん第396号

70年前の新聞から
南ふう

 戦後ハワイ移民から550頭の豚が送られてきた話は、沖縄の歴史に興味のある方には有名な話ですね。昔の新聞を読むのが好きになっている私は、(『Hawaii Times』1948年12月3日付)を読んでみました。裏話が面白く、「沖縄全県民が心から豚の寄贈を感謝 輸送者7名使命果たして帰布」と題された報告記事を、旧字体から新字体に直して紹介します。意外な内容にも心温まります。

【米陸軍の好意深謝】
 私たち一行が1万トン級のリバチー船に豚550頭を積んでオレゴン州のポートランドを出帆したのは8月30日でした。3日目に大暴風に襲われ甲板の豚小屋の一部を破壊されたのでまた引き返し、修理を終わって再出帆しました。途中の航海日数は27日を要しましたが、太平洋横断6千マイルの長距離輸送は、恐らく世界でこれが初めてでしょう。この輸送機関の私たち付添人一行6名の苦心は、並大抵ではありませんでした。大暴風で残念にも14頭を失いましたが、ほかに2匹の子豚が生まれました。
 勝連半島のホワイトビーチに着いたのが9月29日で、豚はグーグーと元気に鳴きながら与儀の農事試験場に運搬され、当事者によって各市町村に公平に配給されましたが、沖縄県民がどんなに喜んだかは、先日御紙に発表していただいた志喜屋知事等の感謝状でも、その一端がお判りでしょう。
 また米国陸軍が特別の好意で船を無料で貸し、船に1万ドル余の経費をかけて豚小屋その他の施設をしてくれたこと、サンフランシスコでの一行6名への厚遇ぶり、まったく感謝のほかはありません。

【平均190斤で上陸】
 豚がポートランド港で船積みされた時は、平均各頭155斤の重量でした。それで豚小屋のスペースは一頭平均7平方フィートの計算で造作させましたが、海上生活にもかかわらず豚の発育状態良好で、太りだし、前記のスペースが狭くなった有様でした。沖縄に上陸したときは、平均190斤になっていたと思います。

【豚舎の材木利用 養老院と孤児院を新築】
 船上の豚舎には30インチ×12インチの厚い材木を使用させましたが、この材木の値段は、原価に見積もって1万2000ドルの資材です。沖縄着後、豚舎は解体して材木は民政府に寄付されましたが、これで合同養老院ならびに孤児院が新築されることになり、豚寄付事業の大きい副産物となりました。

【1番の幸運者 与那城の中原氏】

 豚の配給を受けた養豚家の中で、一番の幸運者はなんといっても与那城野辺区1班の中原源三氏です。この人の豚小屋に配給された豚は、3日目に7つの子豚を生みましたので、本人は狂喜しました。


タグ :南ふう

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん