2019年02月10日
がじまん第398号-1(Essay 399)
島あっちぃ(1)
1月11日から二泊三日の小浜島だった。離島に安く行ける「島あっちぃ」の事業(県の補助が七割)による旅である。ネイチャーガイドによる「アーサとり体験」と「明け方の星空観察、日の出鑑賞」が含まれているもので、友人が申し込んでくれ、仲間六人での参加となった。
石垣空港に迎えに来てくれた現地ガイドの方によると、この10日以上ずっと雨続きで、今日は晴れてよかったとのこと。真っ青な空である。
離島ターミナルに着くと、そこは「ユーグレナ石垣離島港ターミナル」という名前になっていた。(株)ユーグレナが港の命名権を買い、二年ほど前に替わったそう。ユーグレナ(ミドリムシ)入り清涼飲料の自動販売機もあったので、一本買って飲んでみる。99%が果汁で、とても飲みやすい。
船で四十分。小浜島でのネイチャーガイドは二十代のナイスガイだった。ニックネームはカニさん。なぜカニさんかと尋ねると、兵庫県でカニ漁をしていたことから付いたとか。
カニさんは、アーサとりの干潮時まで、島のあちこちを案内してくれた。その中の一つは、ヨナラ水道を望む展望台。屋根がマンタ(オニイトマキエイ)の形をしていて、説明によると、かつてヨナラ水道にいた「八畳」というニックネームのマンタの実物大だそうで、つまり八畳のビッグサイズなのだった。
西表島が間近に見えた。海の色も美しい。しかし私は観光的な風景より、カニさんのマニアックな説明を聞いている方が面白かった。ヨナラ水道はとても狭いので水流が早く、6ノット、時速にして11キロだとか。泳いで渡れる距離に見えるが、船でも流される感じがあるという。
アーサとりの干潮時となったが、私は一人、岩陰で日光を避けて座っていた。潮風と自分の汗と直射日光が混ざると顔に湿疹ができてしまうという妙な体質なので、海は遠くから見るだけでいい、山派なのである。なので、もう一つの楽しみ「星空観察、日の出鑑賞」がこの旅の私の目当て。未明の空に南十字星が見えるのを期待した。
ところが夕方から風向きが変わってきて、ピーカンだった空が曇ってきた。ついにはけっこうな雨となり、12日朝の予定は13日に変更、12日は終日フリーとなった。島一番の高台、標高97メートルの大岳(ウフダケ)へ。麓に「小浜節」の刻まれた石碑があり、碑の裏の芳志者に高校の同級生の名前が刻まれていた。ほとんどの離島には高校がなく、彼も沖縄本島にいる親戚を頼り、高校に進学した一人である。すでに60を超えているが、帰省した時には、高齢者の中で青年扱いされると、笑って話してくれたことがある。(続く)
南ふう
1月11日から二泊三日の小浜島だった。離島に安く行ける「島あっちぃ」の事業(県の補助が七割)による旅である。ネイチャーガイドによる「アーサとり体験」と「明け方の星空観察、日の出鑑賞」が含まれているもので、友人が申し込んでくれ、仲間六人での参加となった。
石垣空港に迎えに来てくれた現地ガイドの方によると、この10日以上ずっと雨続きで、今日は晴れてよかったとのこと。真っ青な空である。
離島ターミナルに着くと、そこは「ユーグレナ石垣離島港ターミナル」という名前になっていた。(株)ユーグレナが港の命名権を買い、二年ほど前に替わったそう。ユーグレナ(ミドリムシ)入り清涼飲料の自動販売機もあったので、一本買って飲んでみる。99%が果汁で、とても飲みやすい。
船で四十分。小浜島でのネイチャーガイドは二十代のナイスガイだった。ニックネームはカニさん。なぜカニさんかと尋ねると、兵庫県でカニ漁をしていたことから付いたとか。
カニさんは、アーサとりの干潮時まで、島のあちこちを案内してくれた。その中の一つは、ヨナラ水道を望む展望台。屋根がマンタ(オニイトマキエイ)の形をしていて、説明によると、かつてヨナラ水道にいた「八畳」というニックネームのマンタの実物大だそうで、つまり八畳のビッグサイズなのだった。
西表島が間近に見えた。海の色も美しい。しかし私は観光的な風景より、カニさんのマニアックな説明を聞いている方が面白かった。ヨナラ水道はとても狭いので水流が早く、6ノット、時速にして11キロだとか。泳いで渡れる距離に見えるが、船でも流される感じがあるという。
アーサとりの干潮時となったが、私は一人、岩陰で日光を避けて座っていた。潮風と自分の汗と直射日光が混ざると顔に湿疹ができてしまうという妙な体質なので、海は遠くから見るだけでいい、山派なのである。なので、もう一つの楽しみ「星空観察、日の出鑑賞」がこの旅の私の目当て。未明の空に南十字星が見えるのを期待した。
ところが夕方から風向きが変わってきて、ピーカンだった空が曇ってきた。ついにはけっこうな雨となり、12日朝の予定は13日に変更、12日は終日フリーとなった。島一番の高台、標高97メートルの大岳(ウフダケ)へ。麓に「小浜節」の刻まれた石碑があり、碑の裏の芳志者に高校の同級生の名前が刻まれていた。ほとんどの離島には高校がなく、彼も沖縄本島にいる親戚を頼り、高校に進学した一人である。すでに60を超えているが、帰省した時には、高齢者の中で青年扱いされると、笑って話してくれたことがある。(続く)
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん