てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第399号-1(Essay 401)

2019年03月10日

がじまん第399号-1(Essay 401)

言葉の重み
儀間進

 敬老会会場の受付で招待券を差し出すと、案内係の女性はカードの色を見て行った。
「今日の主賓の方ですね。八十八歳おめでとうございます。」
 すばやく別の女性が大きなリボンを私の胸につけながら、軽い感動の表情を見せた。
「トーカチなんですか、すごいですね。」
 八十八歳とトーカチ。
 二つの言葉は同じ意味内容を指しているのだが、少し違う感じを抱かせる。
 前者は単に年齢を指しているのだが、後者には年数の外に何かがつけ加わっている。彼女はそれを感じ取り、感慨深げに言ったのだ。
故老たちは八十八歳まで健やかでいたいと願った。だから皆その人にあやかりたいと祝福した。
 昔からトーカチブーブー(とかき棒)に託して、米寿になるまで年齢を積み重ねてきたお年寄りには敬意を表した。八十八歳は単なる年数ではない。その間に味わった経験の深さに頭を下げるのである。そして自分もそうありたいと願った。
「ご長寿をアヤカーラチ下さい」と。
 そのときのトーカチという言葉には、重みが加わっている。
 言葉は物ではないから、当然質料を持たない。したがって質量がない。重いというのは言語表現上の比喩である。
 八十八段まで積み上げた齢(よわい)の高さを仰ぎ見て敬嘆するとき、トーカチという言葉は心に重く響く。付加価値がついたのである。

 トーカチによく似ている語句に還暦がある。
 六十一歳(以下年齢はすべて数え年である)になると、生まれた年と同じ干支がめぐってくる。本(もと)の暦に還るから還暦という。干支は子年から始まって亥年で終わり、十二年で一巡する。したがって人生最初に迎える生年(トゥシビー)祝(ユーエー)は数え年十三歳の十(ジュウ)三(サン)祝(ユーエー)である。その日は主人公の友人を招いて子供同士でお祝いの真似事をした。
 生年祝は十二年毎にくるが、次にくる二十五歳から四十九歳までのトゥシビーは家庭で質素に祝うだけ。五巡目に当たる六十一歳は還暦である。長寿ということで近隣の人々を招いてお祝いをした。
 旧暦では六十年で時代を区切るから現代風にいうと一世紀に当たる。明治生まれの人々は還暦を無事に通過したとき、一世代を生ききったという感慨を抱いたことだろう。
 私の少年時代までは還暦祝いは、現在のトーカチスージに似ている。今でこそ還暦といってもたいして驚かないが、当時も今も還暦といい、トーカチといい、やはり重い言葉なのである。


タグ :儀間進

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん