2019年04月10日
がじまん第400号-2(Essay 404)
ワンデック
今年、新年早々タイに住む友人から「山に行かない?」と電話がかかってきた。友人が「山」というのは、タイ北部や北東部の山岳地帯のことだ。年末の忙しさにかまけてすっかり忘れていたが、一月の第二土曜日(今年は十二日)はタイの子供の日「ワンデック」である。彼女は三十年近く、ワンデックに合わせて山岳地帯の貧しい村々を訪ねている。
彼女が、夫の会社の赴任先のタイに渡ったのは三十年前のことだった。貧富の差が著しいタイで、ミャンマーやカンボジア等の国境に近い北部や北東部の少数民族の集落には、学校はおろか国籍すら無い人たちがいて、幼い子供たちが亡くなっているということを知り、胸を痛めた。自分にも何か出来ることはないかと考えた彼女は、すぐにタイ人や日本人の有志を募り、ボランティアグループを立ち上げた。募金を行ったり、安いタイの商品を東京や沖縄で販売した利益で資金造成をしたりした。当初はタイの関係機関等と調整し、その資金を貧しい集落の学校建設や保育園の建築に当てたようだ。その後、地元の意向も聞きながら、資金やミルク等の食料品、薬、衣料品などを直接手渡す方法になったという。
始めの頃は観光でタイの彼女のもとを訪ねていた私も、二十年ほど前からは、物資の運搬要員として「山」に同行し始めた。
一月一〇日、夜九時四十五分那覇を出発。翌日〇時四五分にバンコクのスワンナパーム空港に着いた。約五時間のフライトである(二時間の時差がある)。朝六時に東京から来た五人と合流した。七時、友人とメンバーのタイ人が借りたレンタカーで空港を出発した。目的地のチェンラーイ県までは、十数時間の長旅だが、これまでは長距離バスや鉄道を利用してきたので、今回はわりと楽な方である。
バンコクからチェンラーイへ北上する道路はサトウキビがうず高く積まれたトラック、トレーラー、バス、人を満載したピックアップ車等が往来している。アユタヤを過ぎた頃から窓の外はすっかり田舎の風景に変わり、広大な田園や林や森を通り過ぎ、車はひたすら走り続け、夜の九時にチェンラーイに着いた。翌日、チェンラーイ市街地から約二時間ほどのモン族の集落、タピタオ村の小学校に着くと、約百名の子供たちが民族衣装で正装し、村長はじめ村民総出で出迎えてくれた。
今回は資金の外、歯磨きセット、ダウンジャケット、昼寝用の布団、お菓子等を子供たち一人ひとりに手渡した。皆とても喜んで、お礼に民族舞踊や歌を披露してくれた。訪れる場所は毎回変わるが、どの村でも子供たちの屈託のない笑顔と澄んだ瞳に癒されている。
十日ほどの日程を終えて帰国の途に着いた。タイの空気や人々に触れ、また美味しいタイ料理で、自分自身が穏やかになったような気がする。
金城弘子
今年、新年早々タイに住む友人から「山に行かない?」と電話がかかってきた。友人が「山」というのは、タイ北部や北東部の山岳地帯のことだ。年末の忙しさにかまけてすっかり忘れていたが、一月の第二土曜日(今年は十二日)はタイの子供の日「ワンデック」である。彼女は三十年近く、ワンデックに合わせて山岳地帯の貧しい村々を訪ねている。
彼女が、夫の会社の赴任先のタイに渡ったのは三十年前のことだった。貧富の差が著しいタイで、ミャンマーやカンボジア等の国境に近い北部や北東部の少数民族の集落には、学校はおろか国籍すら無い人たちがいて、幼い子供たちが亡くなっているということを知り、胸を痛めた。自分にも何か出来ることはないかと考えた彼女は、すぐにタイ人や日本人の有志を募り、ボランティアグループを立ち上げた。募金を行ったり、安いタイの商品を東京や沖縄で販売した利益で資金造成をしたりした。当初はタイの関係機関等と調整し、その資金を貧しい集落の学校建設や保育園の建築に当てたようだ。その後、地元の意向も聞きながら、資金やミルク等の食料品、薬、衣料品などを直接手渡す方法になったという。
始めの頃は観光でタイの彼女のもとを訪ねていた私も、二十年ほど前からは、物資の運搬要員として「山」に同行し始めた。
一月一〇日、夜九時四十五分那覇を出発。翌日〇時四五分にバンコクのスワンナパーム空港に着いた。約五時間のフライトである(二時間の時差がある)。朝六時に東京から来た五人と合流した。七時、友人とメンバーのタイ人が借りたレンタカーで空港を出発した。目的地のチェンラーイ県までは、十数時間の長旅だが、これまでは長距離バスや鉄道を利用してきたので、今回はわりと楽な方である。
バンコクからチェンラーイへ北上する道路はサトウキビがうず高く積まれたトラック、トレーラー、バス、人を満載したピックアップ車等が往来している。アユタヤを過ぎた頃から窓の外はすっかり田舎の風景に変わり、広大な田園や林や森を通り過ぎ、車はひたすら走り続け、夜の九時にチェンラーイに着いた。翌日、チェンラーイ市街地から約二時間ほどのモン族の集落、タピタオ村の小学校に着くと、約百名の子供たちが民族衣装で正装し、村長はじめ村民総出で出迎えてくれた。
今回は資金の外、歯磨きセット、ダウンジャケット、昼寝用の布団、お菓子等を子供たち一人ひとりに手渡した。皆とても喜んで、お礼に民族舞踊や歌を披露してくれた。訪れる場所は毎回変わるが、どの村でも子供たちの屈託のない笑顔と澄んだ瞳に癒されている。
十日ほどの日程を終えて帰国の途に着いた。タイの空気や人々に触れ、また美味しいタイ料理で、自分自身が穏やかになったような気がする。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん