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2019年05月10日

がじまん第401号-1(Essay 405)

迷探偵
長田清

 昨年十一月、がじまん三九三号にて、内間さんから質問が投げかけられた。昼間どうしても思い出せないことを夜睡眠中に思い出し、それをメモに残したが朝になって書いた記憶がない。これは認知症の始まりではないのかという問い。
 私なりにお答えしたい。昼間の思考の一部は睡眠中にも継続されて行われている。ふつうそれは無意識の中で行われているので、起きたときにはその内容は忘れてしまう。たまに夢をみた直後に目覚めると、忘れる前に貴重な思索の結果を手にすることができる。
 人は自分中心に世界を見るので、状況把握は自分目線から、都合のいいように解釈して記憶される。その場に同席した人の記憶と違うことも当然起こってくる。その記憶は脳内の海馬という領域に収められるが、その際扁桃体という部位の働きで、危険、怖い、好き、気持ちいいなどの感情で紐付けされる。そして大脳皮質でもこの記憶に対して、役に立つ、意味があるなどの価値判断もラベリングされる、それで取捨選択された一部の出来事だけが脳の中に記憶として定着されていく。
 その記憶の場所を定めるために、日中の出来事を反芻して、過去の経験と照らし合わせながら、どの箱にこの記憶を収めるか検証が行われる。それが夢であると言われている。昼間の体験が恐怖であれば、過去の怖い体験の箱が開けられて一緒に収められる。その一瞬に、過去に観た映画やニュースや自分の体験などもごちゃ混ぜになって想起されて、混沌とした映像を夢として見せられることになる。多くの場合困惑することになる。
 しかし、自分の悩みの箱を開けた時に、過去の経験からの答えがチラッと見えることもある。夢を見ているのは明け方の時間帯に多い。それで私は明け方四、五時頃に目が覚めたら、何か考えていなかったか調べるようにしている。ときどき、素晴らしいアイデアが浮かんで来る。例えばエッセイのネタが降りて来る。急いで起きて忘れないうちに書き留める。そのため枕元にはペンと紙が置いてある。最近ではそのまま四時にでも起き出してワープロに向かって一気に書き上げてしまう。そうしないと忘れてしまうから。
 内間さんも心の中で検索し続けた答えが夢の中に降りてきて、賢くも書き留めたので文字が残っていたのである。そのまま起きていれば記憶は残ったのだが、眠ってしまったので、すべて忘れてしまったのだ。もう一歩だったので迷探偵だ。このように、無意識は私たちを助けてくれるので、私はいつも困ったら早く寝ることにしている。果報は寝て待て。


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