2020年07月10日
がじまん第415号-2(Essay 434)
吉田ドクトル送別狩猟大会
県公文書館の膨大な資料の中から南ふうさんが発掘してくれた琉球海外移住公社ボリビア出張所定期報告書の一九六四年七月分所内行事欄には「七月四日吉田ドクトル送別狩猟大会」という一行が挿入されていた。一九六二年から二年余の第二コロニア沖縄診療所勤務を終えて帰国する吉田朝啓医師の送別会を親しい有志でやろうとしたところ、本人の希望もあり、アマゾン河源流の一つイチロ川で狩りと釣りを楽しもうということになった。
南半球の七月は冬、乾季だから、水場を求めてくる鹿や山豚を狙えるし、河では一〇キロ級のドラード(黄金魚)やパク(河クロダイ?)が釣れるという構想である。
前もって宿泊地に連絡を取り、当日八人が二台のジープに分乗して早朝出発した。サンタクルス地方の冬は天気が良ければ二〇度前後の快適な気候であり、いい狩り日和になる。
ところが、私たちが目的地に到着し、お昼もそこそこに釣具や銃類、蛮刀を抱え現場に向かう頃になって突然スール(南風)が吹き始めた。大陸の天気は変りやすい。スールというのは南極からアンデス山脈沿いに這うように北上する寒気で、時には零度まで下がる。南米大陸の三分の二を占める東側の大平原には山らしい山がないからあっという間に亜熱帯地サンタクルス地方まで到達する。
それでもブッシュや獣道を徒歩で二キロ、たどり着いた現場の密林の中の沼地は静まり返っていた。普段なら密林の中は野鳥や動物の声で動きが感じられるが、その日は何の気配もなく風の音だけであった。狩り場を放棄し、さらに二キロ先のイチロ川へ移動する。しかし、川岸も同じ雰囲気で魚釣りの手ごたえはまったくなかった。スールが吹き始めるとあらゆる動物や魚は姿を消すという自然の厳しい営みを思い知らされた。
夕方引き上げるも獲物の収穫ゼロだから近くの農家から鶏三羽を調達して現地食ロクロ(鶏雑炊)を拵え、焚火を囲みながら持参のウイスキーの回し飲みをした。メンバーの一人が戦前若い時にペルーへ移民し、出稼ぎにアマゾン奥地でゴム採集業をした時の話は壮絶で、場所柄だけに身に迫るものがあった。
こうして吉田ドクトルの送別狩猟大会は無事終了し、その時の写真数葉が私の手元に残されている。
上原盛毅
県公文書館の膨大な資料の中から南ふうさんが発掘してくれた琉球海外移住公社ボリビア出張所定期報告書の一九六四年七月分所内行事欄には「七月四日吉田ドクトル送別狩猟大会」という一行が挿入されていた。一九六二年から二年余の第二コロニア沖縄診療所勤務を終えて帰国する吉田朝啓医師の送別会を親しい有志でやろうとしたところ、本人の希望もあり、アマゾン河源流の一つイチロ川で狩りと釣りを楽しもうということになった。
南半球の七月は冬、乾季だから、水場を求めてくる鹿や山豚を狙えるし、河では一〇キロ級のドラード(黄金魚)やパク(河クロダイ?)が釣れるという構想である。
前もって宿泊地に連絡を取り、当日八人が二台のジープに分乗して早朝出発した。サンタクルス地方の冬は天気が良ければ二〇度前後の快適な気候であり、いい狩り日和になる。
ところが、私たちが目的地に到着し、お昼もそこそこに釣具や銃類、蛮刀を抱え現場に向かう頃になって突然スール(南風)が吹き始めた。大陸の天気は変りやすい。スールというのは南極からアンデス山脈沿いに這うように北上する寒気で、時には零度まで下がる。南米大陸の三分の二を占める東側の大平原には山らしい山がないからあっという間に亜熱帯地サンタクルス地方まで到達する。
それでもブッシュや獣道を徒歩で二キロ、たどり着いた現場の密林の中の沼地は静まり返っていた。普段なら密林の中は野鳥や動物の声で動きが感じられるが、その日は何の気配もなく風の音だけであった。狩り場を放棄し、さらに二キロ先のイチロ川へ移動する。しかし、川岸も同じ雰囲気で魚釣りの手ごたえはまったくなかった。スールが吹き始めるとあらゆる動物や魚は姿を消すという自然の厳しい営みを思い知らされた。
夕方引き上げるも獲物の収穫ゼロだから近くの農家から鶏三羽を調達して現地食ロクロ(鶏雑炊)を拵え、焚火を囲みながら持参のウイスキーの回し飲みをした。メンバーの一人が戦前若い時にペルーへ移民し、出稼ぎにアマゾン奥地でゴム採集業をした時の話は壮絶で、場所柄だけに身に迫るものがあった。
こうして吉田ドクトルの送別狩猟大会は無事終了し、その時の写真数葉が私の手元に残されている。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん