2020年09月10日
がじまん第417号-2(Essay 438)
無給医時代
過日の全国紙に「大学病院 無給医 研修名目 白い巨塔の悪弊 医局人事握る教授」という記事があった。それを読んで思い出したのは、50年以上も前に経験した私の無給医局員時代であった。
インターン研修を終え、北大小児科に入局したのは、新米医師として先輩医師から診療の基本を学ぶためであった。無給医の身分ゆえに生活費は週1回、地方の公立病院や炭鉱病院へ出張診療を行い、その謝金でまかなっていた。何かの都合で出張診療ができないと途端に生活に窮した。
当時、結婚したばかりで、ないないづくしの生活を強いられ、妻の貯金もあっという間に使い果たした。妻の実家から送られたリンゴの空き箱を家具の代わりに利用し食器棚、衣類ケース、食卓、書棚の代用とした。長女が生まれると、ベビー服を買う余裕もなく妻はもっぱら手縫いで間に合わせていた。
ある日、妻から医局に「今、おうちにお金が20円しか残っていない…」との電話が入り、慌てて医局から1万円を借りて駆けつけたこともあった。
電車賃を節約し病院とアパートとの間の2キロの道を毎日駆け足で通った。カバンが買えず書籍や資料を風呂敷に包んで抱え、オーバーコートを翻しながら走ったので朝は決まって犬に吠えられた。
小雪ちらつく夜、風呂敷包みを抱え走っていると、うしろからついてきたパトカーから職務質問を受けた。「どこへ行くの」「家に帰る…」「なぜ、走っているの?」「急ぐから…」「職業は?」「医者…」「どこで働いているの」「北大病院…」。
「生年月日は」と聞くので和暦で答えると、すかさず「西暦では何年?」とたたみかけてきた。ウソを見抜く尋問手法のようだった。当時私は、気分一新をはかり丸刈りにしていた。丸坊主の男が深夜、風呂敷包みを抱えて走っているものだから怪しむのもムリはなかった。結局、運転免許証を見せることでケリがついた。
駆け足通勤を知った先輩医師から、乗り古した三菱コルト600という小型車を譲り受けた。相当傷んでいて、運転席の床には穴が空き、走らせると泥水が車中に跳ね反っていた。常時オイル漏れもあり、ガソリン給油とオイル補充を同時にやらねばならなかった。30キロ近く走ると必ずパンクした。ワイパーが故障しているため、雪の日は柄の長い毛ブラシを窓から出して右手でウインドウの雪を払いのけながら走った。
ある大雪の朝、アパートの前に止めていた車が突如なくなっているのではないか。大型除雪車が早朝、道路の除雪作業を行った際、掃き出された雪もろとも道路外へ放り出され、埋もれてしまっていたのだった。
こういう貧乏生活は新米医師が一度は通らなければならない道だという認識があったから耐えられたのだろう。
大宜見義夫
過日の全国紙に「大学病院 無給医 研修名目 白い巨塔の悪弊 医局人事握る教授」という記事があった。それを読んで思い出したのは、50年以上も前に経験した私の無給医局員時代であった。
インターン研修を終え、北大小児科に入局したのは、新米医師として先輩医師から診療の基本を学ぶためであった。無給医の身分ゆえに生活費は週1回、地方の公立病院や炭鉱病院へ出張診療を行い、その謝金でまかなっていた。何かの都合で出張診療ができないと途端に生活に窮した。
当時、結婚したばかりで、ないないづくしの生活を強いられ、妻の貯金もあっという間に使い果たした。妻の実家から送られたリンゴの空き箱を家具の代わりに利用し食器棚、衣類ケース、食卓、書棚の代用とした。長女が生まれると、ベビー服を買う余裕もなく妻はもっぱら手縫いで間に合わせていた。
ある日、妻から医局に「今、おうちにお金が20円しか残っていない…」との電話が入り、慌てて医局から1万円を借りて駆けつけたこともあった。
電車賃を節約し病院とアパートとの間の2キロの道を毎日駆け足で通った。カバンが買えず書籍や資料を風呂敷に包んで抱え、オーバーコートを翻しながら走ったので朝は決まって犬に吠えられた。
小雪ちらつく夜、風呂敷包みを抱え走っていると、うしろからついてきたパトカーから職務質問を受けた。「どこへ行くの」「家に帰る…」「なぜ、走っているの?」「急ぐから…」「職業は?」「医者…」「どこで働いているの」「北大病院…」。
「生年月日は」と聞くので和暦で答えると、すかさず「西暦では何年?」とたたみかけてきた。ウソを見抜く尋問手法のようだった。当時私は、気分一新をはかり丸刈りにしていた。丸坊主の男が深夜、風呂敷包みを抱えて走っているものだから怪しむのもムリはなかった。結局、運転免許証を見せることでケリがついた。
駆け足通勤を知った先輩医師から、乗り古した三菱コルト600という小型車を譲り受けた。相当傷んでいて、運転席の床には穴が空き、走らせると泥水が車中に跳ね反っていた。常時オイル漏れもあり、ガソリン給油とオイル補充を同時にやらねばならなかった。30キロ近く走ると必ずパンクした。ワイパーが故障しているため、雪の日は柄の長い毛ブラシを窓から出して右手でウインドウの雪を払いのけながら走った。
ある大雪の朝、アパートの前に止めていた車が突如なくなっているのではないか。大型除雪車が早朝、道路の除雪作業を行った際、掃き出された雪もろとも道路外へ放り出され、埋もれてしまっていたのだった。
こういう貧乏生活は新米医師が一度は通らなければならない道だという認識があったから耐えられたのだろう。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん