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2021年04月10日

がじまん第424号-2(Essay 452)

思春期の切ない叫び
根舛セツ子 

 東京の公立中学校の卒業式が行われる3月中旬に今年も「思い出ファイル」を捲りながら生徒達の思い出に耽っていた。するとラジオから尾崎豊の「卒業」という曲が流れてきた。心の叫びを綴った詩と切ない歌声。その曲を聞きながら25年前に新興住宅地に開校した中学校で関わったMのことを思い出した。
 その中学校は、都のモデル校として、地域に根差した学校づくりと生徒の育成を目指していた。開校当時の生徒数59人。二年目には毎月5〜10人の転入生がやって来た。不登校で素行に問題のある生徒Mも二学年の始業式の日に転入。標準服のブレザーを変形させて着ていて、その後一度も登校しないまま、5月の連休明けに衝撃的な登校をした。1階の昇降口付近から衝撃音とともに激しくガラスの割れる音がして、保健室のドアを開けると廊下や昇降口はガラスの破片の海。その場にMがバットを握り呆然と立っていた。2階の職員室から生活指導主任Kが「M、ケガはないか」と大声で呼び掛けながら階段を駆け下り彼を前から抱き抱えた。教頭は背後から「落ち着きなさい」と声を掛けバットを取り上げた。暫くして、フラフラになったMを支えながら教頭が保健室にやって来た。
 プーンと鼻を突くシンナーの匂い。Mは朦朧としながら「このまま寝たら死んじゃうのかな、怖いよ〜先生」と呟き震えながら寝付いてしまった。鼾をかいて寝ている手を握り、彼の辛さと苦しさを思いやる。これまで一日しか登校していない転校先の学校の器物破損の意味は深く、「助けてくれ!」と叫んでいるように思えた。その後、器物破損が二度繰り返される。生活指導的なことは他に任せ、保健室ではシンナーの匂いを漂わせるMを受け入れ十分休ませた。三度目の目覚めの後、彼はホットココアをすすりながら辛く苦しい胸の内を初めて語りだした。酒乱の父の母へのDV。小6まで妹と震えながら耐えていたこと。中1の時、父親を少し押すと簡単に倒れたことがきっかけで父親に暴力を振るようになったこと。暴力を振るった後は辛さのあまりシンナーを吸い続けたこと等-…。
「先生、この辛い気持ちわかる? 俺は親父に暴力を振るったんだぜ」と涙の叫びがあった。その後、生活指導主任Kは週一回の夜間授業を根気よく続け、3年に進級後はMの担任となり、クラスの生徒たちの力を生かしながら見事にMを卒業式に参加させた。Mは卒業生の花道退場直後、体育館に戻り「校長先生、教頭先生、先生方、大変ご迷惑をおかけしました。本当に有難うございました。」と土下座をして気持ちを伝えてくれた。
 私は、Mを通し、生徒の育つ「背景」に目を向け、「心の叫び」に耳を傾けることの大切さを学んだ。そして「保健室相談活動」や「居場所としての保健室経営」をその後の課題とした。三カ月後、Mから「先生、僕の為に涙を流してくれて有難う」と書かれた手紙と彼が初給料で買ったハンカチが届いた。


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