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2022年04月10日

がじまん第436号-1(Essay 475)

言葉・ことば・コトバ
永吉京子

 八十路半ばっていくつ?
 A:八十代半ば。B:八十歳半ば。答えはB。
 短歌で、「八十路(やそじ)半ば」というフレーズがあり、八十代半ばという意味で使われている場合もあるが、正しくは八十歳の一年間のみを示す言葉なのである。古くは「やそち」。この「ち」は接尾語で、はたちの「ち」と同じ。三十路(みそじ)から始まり四十路(よそじ)、五十路(いそじ)……九十路(ここのそじ)と長い行路が続く。美しいひびきの和語。
 しかし、三十年ほど前の広辞苑には「九十路」が無く、はて何て読むんだろうと短歌教室で話題になった。誰かが「くそじ?」と言って大爆笑。先生も「きゅうじゅうじ」でいいんじゃない?とあっさり。短歌には詠んでも読みは読者任せ、という結論だった。現在は辞書には載っているものの、文字にする場合は「ここのそじ」とルビを振らなければ誤読されるおそれあり。また、今や人生百年時代。これからは百路(ももじ)、百十路(ももそじ)と歌が詠まれるのだろうか。何て素敵な言葉たち。
 さて、十二月に八十歳になった私は八十路半ばである。何かしら吹っ切れた思いのする一つに「堂々と老いを生きよう」ということがある。事実そういう年齢になったのだから、タクシーの運転手さんから「おばあちゃん」と呼ばれても動揺しないこと、通りがかりに「オバー」と声をかけられても「なあに?」とやんわり答えられるようにしたい。
 ところで、一般に「オバー」という言葉が流行りだしたのは、NHK朝ドラ「ちゅらさん」あたりではないだろうか。親しみやすく明るい感じのする「オバー」という言葉。しかし、当時その年代の女性たちからは不評だった。私の母も然り。自分の祖母ならいざしらず、他人様に使ったらダメッ!!と厳しかった。
 そこで思い出したのが二十代初めの頃、ある中学校で補充教諭をしていた時のことである。音楽担当の綺麗な女性教諭がおられた。よく透る美しい声で話される先生だった。年齢は五十代後半か。ある日の午後、なぜか職員室がざわついている。目を真っ赤に泣きはらした音楽教諭を囲むように数人の女性教諭たちが何やら興奮気味に話している。あるクラスの男子に授業態度の悪さを注意したところ、反抗的な態度とともに、「オバー」という衝撃的な言葉を吐かれたというのだ。何という屈辱。おそらく今まで誰からも言われなかった言葉、聞かなかった言葉に、二十代の私も憤慨した。言葉一つがもたらした「事件」に職員室は波立っていた。のどかな昔々の光景の一齣である。
 言葉って愛しくも怖い。たった三十一音の詩形の言葉と格闘しながらも、日々の暮らしの中で改めて沖縄の諺「く(※)とぅば銭ぢけー」を肝に銘じたい。宮古島の方言でいうならば「すなかぎ」の言葉を!

※(編集者註)くとぅば じんぢけー:言葉遣いは、お金を使うように気をつけて大事に使いなさいということ。


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