てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第437号-1(Essay 477)

2022年05月10日

がじまん第437号-1(Essay 477)

ときめき
中山勲

「調子はどうですか」と入院中のK氏に訊くと「良くなっています」と答えた。「どのように良くなっていますか」とさらに訊くと「心がときめいています」と言う。
 彼から「心がときめいている」という言葉が出たことに驚いたが、それ以上は訊かないことにした。彼は五〇歳になるが、心の病を発症して二〇数年になり、幾度も入退院を繰り返し、今回も五年以上入院している。現実検討能力が低下し、日常の身辺処理も多くの指導と介助を必要としている。
「ときめく」を調べると「喜び、期待などで胸がどきどきする。特に恋愛感情により気分が高揚する」と書かれている。「ときめく」という言葉が好きな私は簡単な説明に少し驚いた。切なさとか憧れとか、もっと多くの形容があると思っていたが、人の感情は言葉では言い尽くすことは出来ないので、先の説明で充分なのだろう。
 私が最も「ときめき」を感じるのは自然の風光と音楽である。女性への「ときめき」は年齢とともに低下したが、自然の風光と音楽は八三歳の今も心をときめかす。四季折々の太陽の光、月の光、空と海の色、雲の様子、雨と風、木々の幹や根と枝の姿、紅葉、色とりどりの草花、等々は見飽きることがない。那覇の自宅から沖縄市比屋根の職場への往復は、往きは朝日に向かい、帰りは夕日に向かって車を走らせるが、その美しさは毎回私を魅了して止まない。
 また音楽は私の生活の大きな喜びである。音楽についての知的な関心はなく、心を陶酔させる喜びだけを求めている。だから陶酔させるものなら音楽のジャンルを選ばない。音楽については喜びを他者と共有することは私には困難で、自分だけの世界に沈潜すると言っても過言ではない。書斎でも車の中でもいつも音楽が流れている。
 医師という職業柄、知識は無くてはならないが、私を大きく支配しているのは情緒や美の世界であり、ときめきや陶酔が心の栄養になっている。しかし「ときめき」は個人的なもので他人と比較できない。だからK氏の現実検討能力や日常身辺処理能力が如何に低下しておろうとも、彼の心は「ときめき」に満たされているのだろう。
 私も命ある限りときめいていたいと思う。


タグ :中山勲

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん