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2022年05月10日

がじまん第437号-2(Essay 478)

善く生きた人             
南ふう

 一月末、東京在住の姉夫婦が来沖予定だった。が、沖縄での新型コロナ・オミクロン株感染拡大のために予定を二月に変更しようとした矢先、来沖は中止となった。元気な義兄(七十三歳)がいきなり余命三ヶ月と宣告され、膵臓ガンのステージ4だという。私の母の場合もそうだったが、膵臓ガンは見つけにくいだけに、見つかったときはすでに末期なのだ。
 私は告知にショックを受けながら、膵臓ガンについてネット検索をし、大まかな知識を得た。腹水とは何か、腹水を抜くと体力を奪うことにもなるため次第に抜けなくなる、そうなると余命は週単位等々……。
 義兄はホスピス希望だったけれど、腹水を抜くため三月中旬に入院した。厄介なのはこのコロナ禍である。入院中は家族といえども面会ができない。
 彼はガラケーの時代から携帯電話を持たない主義だった。ただ、自身の病を知っていたわけではないのに、たまたま去年の晩秋からスマホを持つようになっていたのが幸いした。根っからの営業気質で場を盛り上げるのが得意で、姉に「一句 入院でみんなLINEが上手くなり」とユーモア溢れる内容を送っていた。LINE通話では「人気者になっちゃって、人生相談もされてるよ」と言った。
 義兄を一言で表すと「善く生きた人」。家庭も仕事も愛し、二人の息子を一人前に育て、定年後は夫婦でよく海外旅行を楽しみ(姉がまた、格安旅行の計画を立てる名人なのである)、実家の群馬の両親に尽くし、沖縄の家族にもとてもよくしてくれた。私が中学生の頃から可愛がってくれている義兄は、実の兄のような存在。自宅療養でもホスピスでもいいから一度は会っておきたくて、ちょうどこの三月末退職の私は、年休も用いて三月二十四日に那覇を発つことにしたのだ。
 予定では二十五日に一度退院するはずだったが病状が進み、ホスピスの空きを待つ状態となった。そのうち一度だけだが、姉へのLINEにせん妄と思われる文章が見受けられた。
 姉は、「ずっと東京にいるのも大変だから一度帰って、出版記念会が終わってからまた来たら?」と言う。姉には気の毒で言えなかったけれど、私は自分で得た予備知識から四月中旬あたりが危ないと感じ、記念会の諸々を事務局長と会長に託して、在京を続けた。
 四月十二日、病院からの呼び出しで、姉の面会が許された。心優しい看護師さんは、姉の後にこっそり私も病室に入れてくれた。別人のように痩せていたが相変わらず明るく振舞う義兄は、最後に「またね。今度は天国かもしれないけど」と言い、私は自分の白髪頭を指さし「うん。私もそう遠くないから」と応じた。
 四月十五日、念願のホスピスへの移動が叶った。ホスピスなら家族と面会できる。だが僅か三日前と違ってもう話ができない状態になっており、「善く生きた人」はその日に旅立った。自宅のパソコン内には、残される姉のために、予め自作した喪中葉書があった。


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