てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第441号-1(Essay 485)

2022年09月10日

がじまん第441号-1(Essay 485)

骨まで愛して
 ローゼル川田

 うちなー料理には「汁物」が多い。何と言っても代表格は「ヤギ汁(ヒージャー)」である。このような御馳走がありながら何故沖縄そば程メジャーにならないのか。答えは、値段の高さだけではない。ヒージャー独特のクサミの強さも起因の一つだろう。残念なことに近頃、その香りさえ薄くなり消滅しそうである。
 最もポピュラーな「みそ汁」は安価であるがご飯が付いてくる。高価な「イラブー汁」は料理にも長時間を要する。「魚汁」は値段もピンキリで当たりはずれもある。ソーキ汁、ティビチ汁、牛汁、中身汁、アーサ汁、むじ汁、いなむどぅちまで続く。汁物に題名されるように各々スープの舌鼓は絶妙で深い味わいがある。汁物の定期航路としてヤギ汁、魚汁、みそ汁を日常の食生活に組み込んでいる。
 琉球料理の第一人者の山本彩香さんと昼食をご一緒したことがある。有名な琉球料理店にでも誘うかと思いきやファミリーレストラン「大戸屋」に到着。意気消沈しながらも笑顔をつくり、話題は面白いので盛り上がる。
 魚フライ定食を味付けは自分でやりますからと注文し、卓上のソースやら何やらを用いて、出された定食が見事に変身、一味ちがう美味となった。「ちゃーやが? まーさいびーらやーさい」と来たので「何という事でしょう。まーさいびーん」「食事は毎日毎日の事なので、毎度、ご馳走を頂くわけにはいかないので、普通のレストランに足を運び、工夫をするのです」、なるほど。
 汁物の話題に戻るが、真昼時のカーラジオのFMから「骨まで愛して」の歌が流れてきた時にタイミング良く「骨汁あります」の旗が揺れていたので、吸い込まれるように店に入った。汁物には親しんで来たが「骨汁」は食したことがなく、何となく残骸のような気がして敬遠してきた。例えば、沖縄そばの出汁を取った骨でさらに出汁を煮るのが骨汁だ。幾重にも食べ残しを食べているような感じ。
 骨たっぷりの椀が出される。先ず、スープを啜ると淡泊で清潔感があり驚く。骨を吸い、僅かな肉片を吸うように食べる。犬が骨をかじっているように。肉片が少ないので立て続けに骨を吸い肉片を吸う。椀には骨の山が築かれる。骨の山なので周囲に目配りする。どう客観視しても気品に欠ける。食べた後気取っても後の祭りである。スープに辛子を入れてみると濃厚なスープになり、汗がふき出してきた。気品に欠けるが心に染みる味だ。
 何となく築かれた骨の山を見つめる。命ある生物は死んで、みな骨になるのだ。人間に食される動物は骨になっても生かされている。人の骨は焼かれて灰になる。骨の最期は動物に軍配か。骨汁で胃袋が満たされながら、はかない骨を連想して店を出た。



同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん