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2022年12月10日

がじまん第444号-1(Essay 491)

「美味しいよ」
内間美智子 

『心に残るとっておきの話』を読んだ。プロ作家ではない方々が、自分のこと、あるいは友人のことを書き、さまざまな人生模様が展開されている。その中で、私の心にじんわりと沁み込んだ一篇が「美味しいよ」だ。

「昭和二十八年八月、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連軍がソ満国境を越えて満州に雪崩れ込んできた、そして終戦。多くの戦友が酷寒の地で望郷の念を抱きながら死んでいったが、堀川さんは幸いにして帰国することが出来た」(引用)

 夫の帰りを知らされた妻の喜びは想像を超えるものだったにちがいない。美味しいものを食べさせてあげたいと、生活物資入手ゼロのような時代に、駆けずり回り、少しだが米や調味料、野菜を揃えた。だが、夫の大好きなお酒がどうしても手に入らない。とうとう、帰国の日が来た。
 久し振りに夫婦差し向かいの食事の時、妻が心を込めた手料理が食膳に並んでいたが、酒の工面が出来なかった妻の胸中は苦しい。思案の末、妻は、お銚子に熱々の白湯を入れ、夫に盃を持たせると、お銚子の白湯を注いだ。夫は嬉しそうにそれを口に運んでゴクリと飲んだ。妻は思わず顔を伏せた。
「美味しいよ」
 夫の口から出た言葉に妻は耳を疑い、ハッと夫の顔を見た。夫の両眼からは涙が溢れていた。妻の目からも堰を切ったように涙が流れた。
 私もこのご夫婦と一緒に泣いた。彼は、白湯を口にした瞬間、妻の苦労、思いやりをすべて察したのだ。夫婦愛の粋を見た。

 その夜、私は布団の中で、自分の遠い日の一つの場面を思い出していた。
 夫の持病である喘息発作が悪化し、入院を余儀なくされた。度々のことではあったが、私は仕事を休んで世話をしなければならなかった。幸い、四日目には治まり、私も何とか出勤可能となった。
 朝、身支度をして、化粧品セットのポーチをバッグに仕舞おうとした時、じっと見ていた夫が「それは置いておきなさいよ」と言った。私は、瞬時に夫の不安感を察知し、「夜には必ず来ますよ」と言ってバッグに入れた。七歳も年上で、どちらかというと亭主関白型の夫が、その時はか弱く、いとおしく感じられ、私を母親の心持ちにさせた瞬間であった。
 今頃、夫は天国で、この「がじまん」が目に留まり、「こらこら、夫の弱みを暴くんじゃないよ」と不機嫌になっているのではないだろうか。


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