2022年12月10日
がじまん第444号-2(Essay 492)
拳銃を携行せよ
古いアルバムを整理していると、はるか昔、ボリビアの草原で拳銃の射撃練習をしている若いころの写真が出てきた。
1963年5月琉球海外移住公社の職員としてボリビアのサンタクルス市(聖市)に着任、初めての海外事務所を開設した。当時の聖市は人口10万人、3階以上の建物はなく、中心部の道路さえ未舗装で、風の強い日など砂塵が舞うような田舎町だった。翌年の大統領選挙を控えて与党内の派閥争いから夜間武装して相手事務所を襲うというヤクザの出入りのような抗争を繰り返していた。一般市民には迷惑をかけないのもヤクザに似ていたが、それ以外の治安はそれほど悪くはなかった。
事務所は職員1人を採用してスタートした。当面の最大の課題はオキナワ移住地への営農資金の貸付業務で、沖縄本社から送金された1万ドルを現地貨へ換金して100キロ離れた移住地へどう輸送するかであった。ボリビアでは過去の超インフレの後遺症で1ドルが1万2千ボリビア―ノスだったから1万ドルは相当かさばるのが予想された。旧移民の先輩からは「他人に頼らず自分たちで運べ、用心のため拳銃を携帯せよ」と言われていたので、銃砲店で購入した。25ドルだったか。事務所経費で落とすと本社で大騒ぎになりそうだったからそれは止めた。
拳銃は回転式6連発22口径リボルバー、ずっしりと硬質の重みがあった。使い方は6発の弾を弾倉に込めて、撃鉄を引き起こし、的を狙って引き金を引くという単純な操作だったが、実際に実射してみないと感触が分からない。先術の先輩が聖市近郊で広大な天野芳太郎造林場を管理していたので、練習場に使わせてもらうことにした。射撃は結構難しかった。15m離れた的に10発のうち1発当たればいい方だった。また、30発撃つと銃身が焼けて使えなかった。要領が飲み込めたところでやめにした。
さて、貸付の当日、朝一番で銀行の特別室で1万ドルの換金を確認し、現地貨を2つのコメ袋に分けていれ、大急ぎで銀行前に待機させてあった事務所の車の後座席に放り込んですぐ出発、フルスピードで市内を通り抜けた。なんだか銀行強盗になったような高ぶった気分だったが、2時間の道中何事もなくオキナワ移住地に到着したのだった。
上原盛毅
古いアルバムを整理していると、はるか昔、ボリビアの草原で拳銃の射撃練習をしている若いころの写真が出てきた。
1963年5月琉球海外移住公社の職員としてボリビアのサンタクルス市(聖市)に着任、初めての海外事務所を開設した。当時の聖市は人口10万人、3階以上の建物はなく、中心部の道路さえ未舗装で、風の強い日など砂塵が舞うような田舎町だった。翌年の大統領選挙を控えて与党内の派閥争いから夜間武装して相手事務所を襲うというヤクザの出入りのような抗争を繰り返していた。一般市民には迷惑をかけないのもヤクザに似ていたが、それ以外の治安はそれほど悪くはなかった。
事務所は職員1人を採用してスタートした。当面の最大の課題はオキナワ移住地への営農資金の貸付業務で、沖縄本社から送金された1万ドルを現地貨へ換金して100キロ離れた移住地へどう輸送するかであった。ボリビアでは過去の超インフレの後遺症で1ドルが1万2千ボリビア―ノスだったから1万ドルは相当かさばるのが予想された。旧移民の先輩からは「他人に頼らず自分たちで運べ、用心のため拳銃を携帯せよ」と言われていたので、銃砲店で購入した。25ドルだったか。事務所経費で落とすと本社で大騒ぎになりそうだったからそれは止めた。
拳銃は回転式6連発22口径リボルバー、ずっしりと硬質の重みがあった。使い方は6発の弾を弾倉に込めて、撃鉄を引き起こし、的を狙って引き金を引くという単純な操作だったが、実際に実射してみないと感触が分からない。先術の先輩が聖市近郊で広大な天野芳太郎造林場を管理していたので、練習場に使わせてもらうことにした。射撃は結構難しかった。15m離れた的に10発のうち1発当たればいい方だった。また、30発撃つと銃身が焼けて使えなかった。要領が飲み込めたところでやめにした。
さて、貸付の当日、朝一番で銀行の特別室で1万ドルの換金を確認し、現地貨を2つのコメ袋に分けていれ、大急ぎで銀行前に待機させてあった事務所の車の後座席に放り込んですぐ出発、フルスピードで市内を通り抜けた。なんだか銀行強盗になったような高ぶった気分だったが、2時間の道中何事もなくオキナワ移住地に到着したのだった。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん