2023年01月10日
がじまん第445号-1(Essay 493)
復帰七年目の沖縄
本土復帰七年目の一九七九年、十五年住み慣れた北海道を後にし、二十二年ぶりに帰郷を果たした。730(ナナサンマル)と呼ばれる交通変更の翌年である。
沖縄に来て、まず驚いたのは車の渋滞による混雑ぶりだった。広大な北海道では時速六〇キロが相場だったからノロノロ運転には辟易した。錆びついたガタガタの中古車や段ボールで破損部分を覆った車もよく見かけた。ヘルメット着用義務もまだ徹底しておらず、バイパスではノーヘル・鉢巻き姿の若者らが単車の前輪を浮かすウイリー走行で奇声を上げていた。ある日の安謝の交差点では右折レーンが長蛇の列をなしていた。原因は、交差点のど真ん中での右折車のガス欠だった。運転手がガソリン缶を抱えて走っていた。
沖縄に到着してまもなく、引越し業者のトラックが住み家となるわがマンションで荷下ろしの最中、「すみません、ペンチはないですかねぇ」と着のみ着のままの私らに聞いてきた。業者は忘れものを取りに引き返した。沖縄にはこんな人が多いから、渋滞がひどいのではと勘ぐりたくなった。
復帰して七年目の沖縄は、本土の常識が定着途上のようであった。職員の結婚式で定刻の七時前にホテルに到着したら、会場はガランとしていた。開宴が大幅に遅れても誰も氣にとめなかった。帰りのタクシーでは料金を負けてくれ、「小銭は無用」のおまけサービスはその後も何度か経験した。
那覇の繁華街の店に入ると、売り子が無愛想に立っているだけで「いらっしゃいませ」の一言もない。売り手市場の沖縄風商法がまかり通っていた。例外は、沖映通りにあったダイナハの売り子たちだった。顧客を大事にする本土式マナーで応対し、新たな商法の牽引役を果たしているようにみえた。
小児科外来でも本土とは違う感染症が蔓延していた。今ではほとんど見かけなくなった溶連菌感染症(いわゆる猩紅熱)が猛威を振るい、その菌からリウマチ熱を発症、さらに重度の心臓弁膜症の併発に到るケースが、月に一人か二人の割合で勤務先の県立那覇病院に入院していた。
帰郷して四十三年、復帰五十年経った今、沖縄は一変し、めざましい発展を遂げた。
ここ数年、定期的に受診する女の子が思春期を契機に急速に身長を伸ばし、主治医の私を圧倒するケースが出てきた。復帰七年目の頃に比べて隔世の感がある。全国も同様とはいえ、若い人の急速な身長の伸びは沖縄の成長・発展の証しとはいえないだろうか。出生時体重や身長が全国最下位で成長・発育が大きな課題だった沖縄県で、長年、乳幼児健診に関わった者の一人として喜ばしいのである。
大宜見義夫
本土復帰七年目の一九七九年、十五年住み慣れた北海道を後にし、二十二年ぶりに帰郷を果たした。730(ナナサンマル)と呼ばれる交通変更の翌年である。
沖縄に来て、まず驚いたのは車の渋滞による混雑ぶりだった。広大な北海道では時速六〇キロが相場だったからノロノロ運転には辟易した。錆びついたガタガタの中古車や段ボールで破損部分を覆った車もよく見かけた。ヘルメット着用義務もまだ徹底しておらず、バイパスではノーヘル・鉢巻き姿の若者らが単車の前輪を浮かすウイリー走行で奇声を上げていた。ある日の安謝の交差点では右折レーンが長蛇の列をなしていた。原因は、交差点のど真ん中での右折車のガス欠だった。運転手がガソリン缶を抱えて走っていた。
沖縄に到着してまもなく、引越し業者のトラックが住み家となるわがマンションで荷下ろしの最中、「すみません、ペンチはないですかねぇ」と着のみ着のままの私らに聞いてきた。業者は忘れものを取りに引き返した。沖縄にはこんな人が多いから、渋滞がひどいのではと勘ぐりたくなった。
復帰して七年目の沖縄は、本土の常識が定着途上のようであった。職員の結婚式で定刻の七時前にホテルに到着したら、会場はガランとしていた。開宴が大幅に遅れても誰も氣にとめなかった。帰りのタクシーでは料金を負けてくれ、「小銭は無用」のおまけサービスはその後も何度か経験した。
那覇の繁華街の店に入ると、売り子が無愛想に立っているだけで「いらっしゃいませ」の一言もない。売り手市場の沖縄風商法がまかり通っていた。例外は、沖映通りにあったダイナハの売り子たちだった。顧客を大事にする本土式マナーで応対し、新たな商法の牽引役を果たしているようにみえた。
小児科外来でも本土とは違う感染症が蔓延していた。今ではほとんど見かけなくなった溶連菌感染症(いわゆる猩紅熱)が猛威を振るい、その菌からリウマチ熱を発症、さらに重度の心臓弁膜症の併発に到るケースが、月に一人か二人の割合で勤務先の県立那覇病院に入院していた。
帰郷して四十三年、復帰五十年経った今、沖縄は一変し、めざましい発展を遂げた。
ここ数年、定期的に受診する女の子が思春期を契機に急速に身長を伸ばし、主治医の私を圧倒するケースが出てきた。復帰七年目の頃に比べて隔世の感がある。全国も同様とはいえ、若い人の急速な身長の伸びは沖縄の成長・発展の証しとはいえないだろうか。出生時体重や身長が全国最下位で成長・発育が大きな課題だった沖縄県で、長年、乳幼児健診に関わった者の一人として喜ばしいのである。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん