2023年01月10日
がじまん第445号-2(Essay 494)
フチバンタとウヮーグヮーマジムン
この年齢になると、年相応にオツムがいかれて読んだ小説の書き出しなど、てんで忘れてしまうものだが、数年前、読んだドキュメンタリー小説の冒頭が忘れられないでいる。上野英信の『眉屋私記』の「渡波屋は双頭の岩座である」である。名護市屋部集落の海岸に立つ岩の描写を「トワヤハ ソウトウノ ガンザデアル」などと心で復唱して、突兀(とっこつ)たる岩座をガンザと読むと思いきや、ハナから間違っていることを『広辞苑』に教えられた。ことほど左様にボキャ貧たるわが身を恥じ、モノカキ失格の思いをした。冒頭に魅されて一気に読み終えた。眉屋一族の動向を気魄に満ちた筆致で描いた小説に巡り合えた至福と同時に身も心も揺り動かされる思いをした。読み終えて「双頭の岩座」には、その後の一族の生き様が密かに投影させられているようにも思えた。
冒頭の双頭の「岩」の切り立った様を断崖(フチ)絶壁(バンタ)と叙述する語句は、筆者を遠い幼い日に誘う妖気ただよう文言でもあった。少年の日にしばしば歩いた道にフチバンタという切り立つ砂岩の崖があった。現在の北中城村瑞慶覧の大平(ウフンダ)から屋宜原の間の国道330号の道端にあった。30メートルほど切り立ち、身をかがめて下を恐る恐るのぞくと、川は黒々とした淵になっていて、引き込まれるような無気味さがあった。夜ともなると、人通りも少なく一層わびしいスーズードゥクル(身の毛立つところ)であった。白い子豚(ウヮーグヮー)がクンクンと鳴きながら出歩くと言い伝えられ、当時の豚はすべて黒色であるので、白というだけで異体の豚であった。声を荒げて子豚を追い払い、その子豚がフチバンタに落ちたら、こちらのマブイ(守り=魂)が抜かれるといわれていた。少し行った所(現県立ろう学校の校門辺り)は小高い土手(ドゥファ)になっていて、先ほどの子豚(ウヮーグヮー)が土手から転げ落ちようものなら、これまたマブイの精(シー)ヌカレテ、死ヌと伝えられていた。こういうスーズードゥクルを祭事の帰りに母親とともに通ると、身もキュゥとしまり、握る母親の手も硬くなり、ミーグルグルどころか、イッサンバーエーであった。
しばらく行くと、左手の藪にミイラになったネコが小枝に吊り下げられた近くを通るのであった。昼であれば、白くミイラ化したネコの死骸を見ても異様に感じないものだが、身の引き締まる思いのすることもあった。急いで家に帰り着くと、母親はきまってフールの豚を起し、グウグウと鳴くと、ホッとして家に入るのであった。豚が起きて鳴けば、魔じみたるマジムンは、退散すると心得ているようであった。
ああ、昔は青年たちが子どもたちにしばしば夜の更けるまで魔じみたるカタリをして肝(チム)フトゥフトゥさせていたものだが。カタリが聞けなくなるに符合するが如く、この世にマジムンもいなくなった。
大城盛光
この年齢になると、年相応にオツムがいかれて読んだ小説の書き出しなど、てんで忘れてしまうものだが、数年前、読んだドキュメンタリー小説の冒頭が忘れられないでいる。上野英信の『眉屋私記』の「渡波屋は双頭の岩座である」である。名護市屋部集落の海岸に立つ岩の描写を「トワヤハ ソウトウノ ガンザデアル」などと心で復唱して、突兀(とっこつ)たる岩座をガンザと読むと思いきや、ハナから間違っていることを『広辞苑』に教えられた。ことほど左様にボキャ貧たるわが身を恥じ、モノカキ失格の思いをした。冒頭に魅されて一気に読み終えた。眉屋一族の動向を気魄に満ちた筆致で描いた小説に巡り合えた至福と同時に身も心も揺り動かされる思いをした。読み終えて「双頭の岩座」には、その後の一族の生き様が密かに投影させられているようにも思えた。
冒頭の双頭の「岩」の切り立った様を断崖(フチ)絶壁(バンタ)と叙述する語句は、筆者を遠い幼い日に誘う妖気ただよう文言でもあった。少年の日にしばしば歩いた道にフチバンタという切り立つ砂岩の崖があった。現在の北中城村瑞慶覧の大平(ウフンダ)から屋宜原の間の国道330号の道端にあった。30メートルほど切り立ち、身をかがめて下を恐る恐るのぞくと、川は黒々とした淵になっていて、引き込まれるような無気味さがあった。夜ともなると、人通りも少なく一層わびしいスーズードゥクル(身の毛立つところ)であった。白い子豚(ウヮーグヮー)がクンクンと鳴きながら出歩くと言い伝えられ、当時の豚はすべて黒色であるので、白というだけで異体の豚であった。声を荒げて子豚を追い払い、その子豚がフチバンタに落ちたら、こちらのマブイ(守り=魂)が抜かれるといわれていた。少し行った所(現県立ろう学校の校門辺り)は小高い土手(ドゥファ)になっていて、先ほどの子豚(ウヮーグヮー)が土手から転げ落ちようものなら、これまたマブイの精(シー)ヌカレテ、死ヌと伝えられていた。こういうスーズードゥクルを祭事の帰りに母親とともに通ると、身もキュゥとしまり、握る母親の手も硬くなり、ミーグルグルどころか、イッサンバーエーであった。
しばらく行くと、左手の藪にミイラになったネコが小枝に吊り下げられた近くを通るのであった。昼であれば、白くミイラ化したネコの死骸を見ても異様に感じないものだが、身の引き締まる思いのすることもあった。急いで家に帰り着くと、母親はきまってフールの豚を起し、グウグウと鳴くと、ホッとして家に入るのであった。豚が起きて鳴けば、魔じみたるマジムンは、退散すると心得ているようであった。
ああ、昔は青年たちが子どもたちにしばしば夜の更けるまで魔じみたるカタリをして肝(チム)フトゥフトゥさせていたものだが。カタリが聞けなくなるに符合するが如く、この世にマジムンもいなくなった。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん