てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第449号-2(Essay 502)

2023年05月10日

がじまん第449号-2(Essay 502)

朝のひと時から
             
南ふう
 
 運転中、私はBGM的にカーラジオを流す。職場のあった南風原まで一時間弱の朝の時間帯、社会人向けにトレンドなどを紹介する番組が流れた。
 新聞やテレビより早く「ダイバーシティ」や「ディープフェイク」などを知ったのもその番組で、小難しい話題だけでなく、曜日で替わる構成は平日の朝の楽しみだった。実質の内容より多くの時間を占めるコマーシャルでさえ、映像に頼るテレビとは違う言葉の魅力や可能性を感じていた。
「鬼滅の刃」もその番組で知った。声優が作品の魅力を語り、鬼となった人々の前世の悲しみも描かれる深い内容だと聞いてから、深夜に放送されるそのアニメにハマった。映画「鬼滅の刃 無限列車編」が封切られ、コロナ禍で記録的な集客となり社会現象化したが、そのかなり前に作品の魅力を知っていた私は、少しだけ優越感も味わった。
 通勤の必要がなくなった退職後は、起床時にその番組を聞くのが、新しい習慣となっている。
 急速に社会問題化している「チャットGPT」も、テレビなどで問題点を論じられるより早く知ることができた。それについて考えさせられることは多々あるが、この紙幅では語れない。
 ただ、AIが人知を超える転換期「シンギュラリティ」が二〇四五年(もっと早くなるとも)といわれていて、グラフィックデザインをしていた私は、アナログの写植からデジタルのDTPへ、電話からファックスそしてメール、紙媒体からインターネット…それらの波の影響を生身で受けてきて、この先のことを考える。コンピューターも電子から量子に変われば今のスーパーコンピューターをはるかに凌駕するようだし、とうとうシンギュラリティ後の世界まで見てしまうのか、それより早くくたばるか、どちらになるのだろう?
 ところで年を取ると目覚めるのが早くなるという。でも私はいくらでも眠れる。なんなら朝食をとってからでも二度寝できる。夜は若い頃より多少早めに眠くなるから、けっこうな睡眠時間だ。
 朝のアラームが鳴ると、ベッドから手を伸ばしてラジオをつける。月曜日と水曜日には「ありがとう、先生」というコーナーがあり、学生時代に先生からかけられた言葉に大人になってから感謝するリスナーのエピソードが語られる。
 うとうとしながら聞くそれらの言葉はほとんど覚えていないが、ひとつだけ鮮明に残っているのは「人生に正解はない。選んだ道を正解にしていきなさい」というもの。私自身の、挫折や失敗を繰り返してきた半生を通し、そっくりそのまま同意できる。
 人は試行錯誤を経て成長していく。チャットGPTで瞬時に答えを得れば、その機会を失うことになる。回り道をしてこそ見える景色もあるのに。


タグ :南ふう

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:01 │会報がじまん