2023年09月10日
がじまん第453号-1(Essay 509)
トイレに困った
最近はトイレが近くて困る。急に尿意を催して、トイレに駆け込むことが多くなった。小さなクリニックながら三室もトイレを備え、診察室から一部屋挟んでトイレに駆け込むことができる自院で働くことのメリットを感じる、今日この頃である。
トイレの問題というと、二〇一八年にアカデミー賞の作品賞などを取った映画『グリーンブック』を思い出す。ピアニストのジャマイカ系アメリカ人ドン・シャーリーと彼の用心棒兼ドライバーのイタリア系アメリカ人が、黒人向けの旅行ガイドブック『グリーンブック』を片手に南部諸州を演奏して回った実話に基づく映画である。
公演旅行先の主催者たちはシャーリーの演奏・才能を高く評価する一方で、決して白人専用のトイレを使わせず、戸外に設置されたみすぼらしい黒人用トイレの使用しか認めない。グリーンブックに掲載された宿泊先のホテルのトイレに戻って用を足す等の不自由をかこちながら、いよいよ公演旅行最終日の晩、アラバマ州での演奏会に臨んだのだが、公演を予定しているクラブのレストラン内では、シャーリーが他の白人の出演者たちと一緒に食事することを許されないため、ついに「ここで食事を摂ることが許されないなら、演奏もしない」と言って、クラブを後にする。シャーリーの名演奏を楽しみながら、一九六〇年代のアメリカ南部の人種差別と白人ドライバーが人種差別を乗り越えていく様を目のあたりにできる、偏見克服の示唆に富む名画だ。
最近のトイレ問題といえば、経済産業省のトランスジェンダーの職員が女性用トイレの使用を長年制限され、上下、二階以上離れたトイレしか認められなかったことは違法であるとの判決を、本年七月十一日に最高裁が出した。しかし、さっそく七月十九日には保守政党の「通称・女性を守る議連」が、「これは、特定人の特定トイレについての判決だ」、「不特定多数の女子トイレにおいて、誤解によって不適切な取り扱いはなされないように、女性の安心安全が守られるべきだ」と声高に強調し、トイレ判決の拡大解釈にクギを刺した。
確かに、不特定多数の人が利用する商業施設のトイレなどで、女装した痴漢による性犯罪が無いとはいえない。が、多くのトランスジェンダーや性同一性障害のある者が、小・中学生の頃からトイレの使用に悩み、人間に排泄という営みがあることを恨み、他人の戸惑いを案じて我慢し続けるなど苦労してきたことも、軽んじることはできない。
オールジェンダー用のトイレがもっと普及することが望まれるが、周囲の戸惑いや不安へ配慮しつつ自らの性自認に沿ったトイレを使用することを理解して受け入れる、寛容な社会はいつになったら実現するのであろうか。
山本和儀
最近はトイレが近くて困る。急に尿意を催して、トイレに駆け込むことが多くなった。小さなクリニックながら三室もトイレを備え、診察室から一部屋挟んでトイレに駆け込むことができる自院で働くことのメリットを感じる、今日この頃である。
トイレの問題というと、二〇一八年にアカデミー賞の作品賞などを取った映画『グリーンブック』を思い出す。ピアニストのジャマイカ系アメリカ人ドン・シャーリーと彼の用心棒兼ドライバーのイタリア系アメリカ人が、黒人向けの旅行ガイドブック『グリーンブック』を片手に南部諸州を演奏して回った実話に基づく映画である。
公演旅行先の主催者たちはシャーリーの演奏・才能を高く評価する一方で、決して白人専用のトイレを使わせず、戸外に設置されたみすぼらしい黒人用トイレの使用しか認めない。グリーンブックに掲載された宿泊先のホテルのトイレに戻って用を足す等の不自由をかこちながら、いよいよ公演旅行最終日の晩、アラバマ州での演奏会に臨んだのだが、公演を予定しているクラブのレストラン内では、シャーリーが他の白人の出演者たちと一緒に食事することを許されないため、ついに「ここで食事を摂ることが許されないなら、演奏もしない」と言って、クラブを後にする。シャーリーの名演奏を楽しみながら、一九六〇年代のアメリカ南部の人種差別と白人ドライバーが人種差別を乗り越えていく様を目のあたりにできる、偏見克服の示唆に富む名画だ。
最近のトイレ問題といえば、経済産業省のトランスジェンダーの職員が女性用トイレの使用を長年制限され、上下、二階以上離れたトイレしか認められなかったことは違法であるとの判決を、本年七月十一日に最高裁が出した。しかし、さっそく七月十九日には保守政党の「通称・女性を守る議連」が、「これは、特定人の特定トイレについての判決だ」、「不特定多数の女子トイレにおいて、誤解によって不適切な取り扱いはなされないように、女性の安心安全が守られるべきだ」と声高に強調し、トイレ判決の拡大解釈にクギを刺した。
確かに、不特定多数の人が利用する商業施設のトイレなどで、女装した痴漢による性犯罪が無いとはいえない。が、多くのトランスジェンダーや性同一性障害のある者が、小・中学生の頃からトイレの使用に悩み、人間に排泄という営みがあることを恨み、他人の戸惑いを案じて我慢し続けるなど苦労してきたことも、軽んじることはできない。
オールジェンダー用のトイレがもっと普及することが望まれるが、周囲の戸惑いや不安へ配慮しつつ自らの性自認に沿ったトイレを使用することを理解して受け入れる、寛容な社会はいつになったら実現するのであろうか。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん