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2023年12月10日

がじまん第456号-1(Essay 515)

ひまわりのお喋り
内間美智子 

「人を愛するため人は生まれた……」
 同期の親しい友人、男女九名が集う「ひまわり会」で、カラオケで誰かが歌った聖句を思わせるような一節に胸を打たれた。「傷つき敗れてもやさしくなれるはず」と続く。軽やかな曲想も相俟って忘れられない歌になり、私の愛唱歌にもなった。
 会の中には、戦前戦中戦後を共に過ごした、まさに幼馴染みが三人いて、「我々は疎開もせず、ひたすらふるさと石垣島を守った」と威張る。私もその一人だ。
 さて、会の名前の基になったのは、映画を観ることが唯一の楽しみであった青春時代、ともに観たあのイタリア映画「ひまわり」だ。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが扮する夫婦、アントニオとジョバンナ。第二次世界大戦で戦線へ送られた夫は、終戦になっても戻らず。妻のジョバンナは夫を探してソ連へ。やっと場所を探し当てて見たものは、黄金の海の如く広がって眩しいほどに美しいひまわり畑。
 そして……その向こうに見えたのは、夫の新しい家族の幸せそうな光景だった。そこに流れてくる音楽(ヘンリー・マンシーニ作曲「ひまわり 愛のテーマ」)が、ジョバンナのあまりにも切ない気持ちを想像させ涙が止まらない。その感動がそのまま会の名前となった。
 せんだっての集いでは誰かがおかしなことに気づいたらしく、こんなことを言った。「先に逝った同期の友人たちの名前が、アイウエオ順になっている」と。皆、噴き出したが、名前を挙げてみると偶然にもだいたいその通りだ。それぞれアイウエオを唱え、指を折りながら自分は何番目かと調べる始末。「私はミだからまだまだだ」と言えば「私はヨだからずっと後だ」などと根拠のない話で盛り上がる。そういう話を気軽にできるのも同期の友の所以か。
 話題は続く。八十六歳だ、人生を達観している。死を恐れるばかりではない。あの世では歓迎会もあるらしいから、歌う歌も決めておこうと、それぞれ得意の歌をあげる。私は〝人を愛するために人は生まれた〟の歌い出しが素敵な「遥かな人へ」にしよう。いや、〝あなたはわたしの奇跡、あなたはわたしの希望〟と歌う「おひさま」にするか。
 死は、先に逝った肉親や友人に再会できる喜びがあると思うと、ある意味、楽しみが持てる。
 作家曽野綾子の『完本戒老録』の中に、晩年のミケランジェロの言葉を引用した件(くだり)がある。ここに、それを引用したい。
「生命が私たちに好ましいものであるなら、死もまた私たちにとって、不快なものであるはずがないでしょう。なぜなら、死は、生命を創造した巨匠の同じ手によって創られたのですから……」




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