てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第457号-2(Essay 518)

2024年01月10日

がじまん第457号-2(Essay 518)

「がじまん」裏話
南ふう

 私の本棚にある三冊のファイルには、第三代会長・島元巖氏の発案で始められた会報が、創刊号(二〇〇二年発行)から綴られている。
その会報「がじまん」創刊の少し後に入会した私は、発行の理由を次のように聞いていた。
 クラブ創立初期の頃は、会員の作品は沖縄タイムス「随想」に連載され、県広報誌にも寄稿していたが、時代の流れで、優先的に紙面を割いてもらえなくなった。そこで会員の作品発表の場として会報を作り、モチベーションを保ち、かつ執筆の訓練にもなるよう、会員エッセイを書いてもらうことにした、と。
 だが、氏が思い描くようには進行しなかった。会報の名称を募集しても反応がなかったし、原稿が集まらないことで、ほぼ毎号、島元氏が執筆されていた。
 調べ物をするため古い「がじまん」を読み返していた時に、驚いたことがあった。がじまん二十二号の「運営委員会だより」に島元氏がこう書かれていたのだ。

 会員からGさんに「がじまん」の発行についての苦情の電話があったという。なぜ、事務局長か会長に、直接電話をくれなかったのか残念。内容は、当初の発行の趣旨と違うという。(中略)「がじまん」の紙面構成には全会員の協力が必要だと、何度もお願いをしたところである。(中略)会員の寄稿が盛んになれば、発行の趣旨は達成される。一日も早くそうなることを願っている。

 そんなクレームから二十年余。「がじまん」は大きく育ち、会員エッセイはすでに五百を超えた。会員の努力と協力に感謝。
が、そうはいっても皆さん多忙だし、ご都合もある。とくに作品集の原稿締切が迫る十月・十一月、さらに「締切を過ぎても出してください」とお尻をたたかれる十二月は、「がじまん」どころではないかも。そのため私は、常にピンチライターの原稿を用意している。
数年前、私が年に数回書いていることに好意的でない言葉をかけられ、気落ちしたことがあった。が、島元氏の件を知ってからは、気にせず書いている。私は書くのが苦ではない。どんな些細なことでも材料になる。またモチベーションを保ち、期限を守り、既定の文字数内にまとめる訓練にもなっている。
 ハプニングもある。
 今号の当番だった内間さんが勘違いで締切より早く十一月に提出され、後で気づいて「内容が新年には相応しくないので、できれば十二月に」と言われた。そのため急遽、私を一月に繰り下げ、この紙面となった次第。
ついでながら裏話をもうひとつ。
 どうしても文字数オーバーの作品もある。それで裏(うら)面は表(おもて)面より少しだけ文字数が多く入るよう、フォーマットを作成している。これがほんとの裏話?

 なにはともあれ、今年もよろしくお願いします。


タグ :南ふう

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:01 │会報がじまん