てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第458号-1(Essay 519)

2024年02月10日

がじまん第458号-1(Essay 519)

青春の伴走歌
根舛セツ子
 
 2022年2月20日午後8時05分。
夕食を済ませ後片付けをしていると「西郷輝彦さんが前立腺がんで今日の午前9時41分に亡くなりました」との訃報がラジオから流れてきた。驚きのあまり呆然とし、しばし立ち尽くした。
 彼がデビユーした1964年、私は中学2年生。1クラス52名18学級の那覇市内のマンモス校でバスケット部に所属し、校庭で3月末の春の新人戦に向けて大粒の汗をかきながら速攻の特訓を受けていた。ヘトヘトになった身体に檄を入れながらバスケットボールを追いかけるものの足が追いつかず、ボールをキャッチし損ねてしまった。コート外に弾み転がったバスケットボールは野球部の練習エリアに入ってしまい、後方で声を出して守備に就いていた野球部員の足元で緩やかに止まった。
「すみませ~ん」と声を掛け、部員の傍に駆け寄ると足元のボールを拾い「お疲れ!」と元気な声を添えてボールを返してくれた。会釈をして顔を上げ目と目があった瞬間、私は棒立ちになってしまった。ただただ心臓だけがパックンパックンと飛び出さんばかりに高鳴っていた。コートに戻っても、部活が終わっても胸の鼓動は治まらなかった。気がつくと制服を着たまま自宅の勉強机に両肘を付き、組んだ手に顎をのせうつろな目で目前の白い壁を見つめていた。私の初恋の始まりである。その時、トランジスターラジオから流れていた曲が、「いつでも いつでも 君だけを 夢にみている ぼくなんだ…」という西郷輝彦さんのデビュー曲「君だけを」だった。歌声が私の波打つハートに優しく切なく沁みていった。
 それ以降、恋する私は三才年上の西郷輝彦さんの歌声に魅了され、ヒット曲「十七歳のこの胸に」「星娘」等、多くの歌詞に散りばめられた数々の魔法の言葉に酔いしれ、元気を貰いながら青春の追体験をしていった。
 そして、18歳になった私は、「初恋によろしく」のヒット曲「〜いつか晴れるだろう いつか晴れるだろう チクリと痛い ぼくのこの胸 いつか晴れるだろう…」を最後に淡い初恋の思い出を大切に胸の奥に仕舞い込み、将来の夢に向かってまい進した。
 西郷輝彦さんが逝去されて早2年の月日が経とうとしている。彼が亡くなったことは、今でもほんとに残念でならないし寂しい----。
 来る2月20日の命日には、我が「青春の伴走歌」となった彼の数々のヒット曲に酔いしれながらご冥福を祈りたいと思う。



タグ :根舛セツ子

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん