2024年06月10日
がじまん第462号-1(Essay 527)
窮屈な時代
テレビドラマ「不適切にもほどがある!」は面白かった。昭和から令和にタイムスリップした中年男性が感じる、何でもかんでもコンプライアンス(法令順守)、すぐに〇〇ハラスメントだと訴えられる令和の生きづらさが、コミカルに描かれた。
たしかに昭和はおおらかだった。とくに沖縄の古き良き時代、マチヤグヮーで「おばあ、このパン、カビが生えているよ」「大丈夫さ~、カビの所をとって食べなさい」というコントのような会話もあった。「古い食品は口にして酸っぱかったら危ないから食べないように」で済んだ。今は消費期限・賞味期限を頼りに判断する。
振り返ると、そうさせてしまった一因は、平成時代に起きた食品偽装や賞味期限偽装など数々の問題かもしれない。また危険な箇所に柵や看板を設置し、頻繁に○○注意報・警報を出すなどのリスクヘッジも、行政の責任回避といえるだろう。自分で危険を回避する本能も衰えてきた気がする。
先日、こんな記事を目にした。二歳足らずの子と、うどんチェーン店に入った若い母親が、トレイを一つテーブルに運んでいる間に、カウンターに残っていたもう一つのトレイを引っくり返した子が大火傷を負った。母親は、自分が目を離したのは悪かったけど、店に責任はないのかと問うていた。「セルフサービスの店にそれはない」という意見や「子連れの客には一声掛ける必要があるのでは?」などの意見が寄せられた。私のような昭和世代は、安く提供してくれるセルフサービスの店に、そこまで責任を求めるのは酷だと思う。低賃金のうえ人手不足のご時世でもある。
肖像権も厳しい。一般人がテレビ画面に写る際は、顔にぼかしが入ることが増えた。画面に顔を流していいか、いちいち許可をとる手間を省くためだ。画面が汚くなったと思うのは、私だけだろうか。
著作権もしかり。引用する場合に原作名を明記するのは当然だが、面倒なのは音楽だ。私たちの作品集のように、出版によって金銭を得る場合、作者に意識して欲しい事例が、最近起こった。
文章内に曲名を書くのは問題ない。が、一行でも歌詞を引用する場合はJASRAC(日本音楽著作権協会)の許可が要る。アーティストの著作権保護のためだ。使用許可申請は出版社がやってくれるが、費用が発生する。歌詞の一部なのか、一番を全部なのかによっても違い、出版部数によっても費用が変わるという。さらに英語(アルファベット)の原題を勝手にカタカナ表記にしてもいけない。
これまで出版社は作品集の出版費から充当していた。歌詞の引用が増えると申請の手間と費用がかさむことを、遠慮がちに私に伝えてきたのは去る三月のこと。いろいろと窮屈な時代になった。
南ふう
テレビドラマ「不適切にもほどがある!」は面白かった。昭和から令和にタイムスリップした中年男性が感じる、何でもかんでもコンプライアンス(法令順守)、すぐに〇〇ハラスメントだと訴えられる令和の生きづらさが、コミカルに描かれた。
たしかに昭和はおおらかだった。とくに沖縄の古き良き時代、マチヤグヮーで「おばあ、このパン、カビが生えているよ」「大丈夫さ~、カビの所をとって食べなさい」というコントのような会話もあった。「古い食品は口にして酸っぱかったら危ないから食べないように」で済んだ。今は消費期限・賞味期限を頼りに判断する。
振り返ると、そうさせてしまった一因は、平成時代に起きた食品偽装や賞味期限偽装など数々の問題かもしれない。また危険な箇所に柵や看板を設置し、頻繁に○○注意報・警報を出すなどのリスクヘッジも、行政の責任回避といえるだろう。自分で危険を回避する本能も衰えてきた気がする。
先日、こんな記事を目にした。二歳足らずの子と、うどんチェーン店に入った若い母親が、トレイを一つテーブルに運んでいる間に、カウンターに残っていたもう一つのトレイを引っくり返した子が大火傷を負った。母親は、自分が目を離したのは悪かったけど、店に責任はないのかと問うていた。「セルフサービスの店にそれはない」という意見や「子連れの客には一声掛ける必要があるのでは?」などの意見が寄せられた。私のような昭和世代は、安く提供してくれるセルフサービスの店に、そこまで責任を求めるのは酷だと思う。低賃金のうえ人手不足のご時世でもある。
肖像権も厳しい。一般人がテレビ画面に写る際は、顔にぼかしが入ることが増えた。画面に顔を流していいか、いちいち許可をとる手間を省くためだ。画面が汚くなったと思うのは、私だけだろうか。
著作権もしかり。引用する場合に原作名を明記するのは当然だが、面倒なのは音楽だ。私たちの作品集のように、出版によって金銭を得る場合、作者に意識して欲しい事例が、最近起こった。
文章内に曲名を書くのは問題ない。が、一行でも歌詞を引用する場合はJASRAC(日本音楽著作権協会)の許可が要る。アーティストの著作権保護のためだ。使用許可申請は出版社がやってくれるが、費用が発生する。歌詞の一部なのか、一番を全部なのかによっても違い、出版部数によっても費用が変わるという。さらに英語(アルファベット)の原題を勝手にカタカナ表記にしてもいけない。
これまで出版社は作品集の出版費から充当していた。歌詞の引用が増えると申請の手間と費用がかさむことを、遠慮がちに私に伝えてきたのは去る三月のこと。いろいろと窮屈な時代になった。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん