2002年11月15日
がじまん第3号
検証ということ
「父は長良の人柱 雉も鳴かねば撃たれまいに」という、架橋の人柱伝説にまつわる歌がある。そして、それにヒントを得て作ったのが「真玉橋由来記」だという。いわゆる「ナナイルムーティ 七色元結」の戯曲である。その真玉橋が、今、装いを新たにして、その雄姿を現そうとしている(平成十四年十一月十五日現在)。
五月ごろまで、そこに立てられていた看板によると、橋は、五月中にはできあがるものと思っていた。しかし、工事は大幅に遅れ、全面開通は十一月二十二日だという。それにもかかわらず、その橋の欄干を見ると、「平成十四年三月」と刻まれている。つまり、橋は、去る三月に完成したことになっている。
「検証」ということばがある。辞書には、「ある文章または命題が、真であるか偽であるかを、事実に照らして検査すること」とある。ところが、右の例にもあるように、事実そのものに問題があるということである。そのまま鵜呑みにするわけにはいかない事実もある、ということである。文献資料等によくよく見られることでもある。
新真玉橋の場合、その架橋年月は、後世、その欄干に刻まれた年月が、事実として誤って採用されるおそれがある。新真玉橋は、事実と言われているものも、一応は疑ってみる必要があることを物語っている。ある事を、史実に基づいていると書くとき、その史実(事実)そのものの真偽も検証しなければならないということである。
私は、本年度の総会で、「やじ馬根性をかきたてよう」という趣旨で、「八汐荘」の名称にある「汐」という漢字の話をした。当初は「汐」でなくて、「潮」ではなかったかと推察した話であった。そう推察したのには、それなりの根拠があった。「汐」という漢字は当用漢字になく、当用漢字には「潮」しかなかったというのが、その根拠であった。八汐荘の開所は、昭和三十五年(一九六〇年)だというから、そのころ、「汐」という漢字は、まだ、人名用漢字にも入っていなかった。だから、ある程度、自信のある推察ではあった。
しかし、少々、気になるところがあった。そこで、「八汐荘」の事務所から資料を取り寄せ、確かめて(検証して)みた。すると、その名称は、当初から「八汐荘」であった。検証なしの推察には、大きな落とし穴のあることを思い知らさせた。
―事実をもって語らせるというが
島元巖
「父は長良の人柱 雉も鳴かねば撃たれまいに」という、架橋の人柱伝説にまつわる歌がある。そして、それにヒントを得て作ったのが「真玉橋由来記」だという。いわゆる「ナナイルムーティ 七色元結」の戯曲である。その真玉橋が、今、装いを新たにして、その雄姿を現そうとしている(平成十四年十一月十五日現在)。
五月ごろまで、そこに立てられていた看板によると、橋は、五月中にはできあがるものと思っていた。しかし、工事は大幅に遅れ、全面開通は十一月二十二日だという。それにもかかわらず、その橋の欄干を見ると、「平成十四年三月」と刻まれている。つまり、橋は、去る三月に完成したことになっている。
「検証」ということばがある。辞書には、「ある文章または命題が、真であるか偽であるかを、事実に照らして検査すること」とある。ところが、右の例にもあるように、事実そのものに問題があるということである。そのまま鵜呑みにするわけにはいかない事実もある、ということである。文献資料等によくよく見られることでもある。
新真玉橋の場合、その架橋年月は、後世、その欄干に刻まれた年月が、事実として誤って採用されるおそれがある。新真玉橋は、事実と言われているものも、一応は疑ってみる必要があることを物語っている。ある事を、史実に基づいていると書くとき、その史実(事実)そのものの真偽も検証しなければならないということである。
私は、本年度の総会で、「やじ馬根性をかきたてよう」という趣旨で、「八汐荘」の名称にある「汐」という漢字の話をした。当初は「汐」でなくて、「潮」ではなかったかと推察した話であった。そう推察したのには、それなりの根拠があった。「汐」という漢字は当用漢字になく、当用漢字には「潮」しかなかったというのが、その根拠であった。八汐荘の開所は、昭和三十五年(一九六〇年)だというから、そのころ、「汐」という漢字は、まだ、人名用漢字にも入っていなかった。だから、ある程度、自信のある推察ではあった。
しかし、少々、気になるところがあった。そこで、「八汐荘」の事務所から資料を取り寄せ、確かめて(検証して)みた。すると、その名称は、当初から「八汐荘」であった。検証なしの推察には、大きな落とし穴のあることを思い知らさせた。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん