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2003年01月17日

がじまん第8号

合評会風景
内間美智子

 二〇〇二年最後の例会は、年の瀬押し迫る二十八日、出席者二十名。吉田氏手土産の「の饅頭」を頬張りながら温かい雰囲気で始まる。俎の鯉は城間政州氏の「良寛への旅」。事前に読んでいた私はノートに次のようにメモしていた。
 この作品の書き出し・「越後の空は晴れていた」は、内容を暗示し、読者をスムーズに良寛への旅に誘ってくれる。そして最後は、良寛の清らかさを象徴するようなシマクトゥバの「なさき深さ~」で結んでいる。題名は作品全体を集約して巧み。易しい表現なのに濃密で内容が心を捕らえるのはどうしてだろう。
 合評会の初めは、多少表記面に集中するきらいがあったが、Kさんの「城間さんらしい文章で感動を呼ぶ。構成も申し分ない。自然のうちに良寛を紹介し~」の発言を機に、内容面の話が弾む。
 良寛のことは誰もが知っていて、純粋過ぎるほどの生き方に惹かれる。それぞれの思いや意見、疑問、表現の好きな箇所等を出し合い、当然のように、無為・老荘思想にも話題は及んだ。
 次に、記憶に残っている発言を列挙してみる。
①題名がユニーク。比喩的なタイトルで内容にぴったり。
②旅モノとして秀逸。軽やかで、間の取り方や心象風景の描写も見事。
③細かい所への心配りが感じられる。テンポの良さが快い。
④題名→書き出し→中心的内容→結び、とつながりが絶妙。
⑤書き手の城間氏と良寛が重なる。
⑥物欲の充満している世の中で、良寛の子供のような純粋な心に癒される。
⑦文学と教訓は違うのではないか。
⑧教訓というより、良寛の生き方に触れているのではないか。

 エッセーの場合、仮名遣いや句読点、助詞の使い方等は二の次でもよいのでは、という気がすることもあるが、しかし、いかに良い題材・内容でも、修辞の助けがなくては、作品として整わないのではないか。修辞と内容が一体となって、はじめて作品の価値が出ると思われる。ともあれ、一作品を心ゆくまで評し合い、時の経つのも忘れるくらい、充実した二時間であった。


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