2003年01月20日
がじまん第9号
坊主憎けりゃ袈裟まで
一年前までは、熱烈な阪神タイガースファンだと自認していた。敢えて「一年前までは」と断るのは、あまりにも無残な監督交替劇によってファン心理を踏みにじられ、憤然としてファンのバッチをはずしたからである。
野村克也監督は、万年最下位に甘んじて恥じないタイガースに、三顧の礼をもって迎えられた。だが、ぬるま湯に浸かり続けてきた選手たちが、ある日突然豹変して、巨人軍をねじ伏せる力を生み出す筈はない。名将の野村氏とても屈辱の日々であったに違いない。それでも、ファンは監督の手腕を信じ、夢を見続けていた。
私はプロ野球の観戦は一度しかないが、それは、奇蹟のドラマを生んだ二〇〇〇年六月三日の阪神―広島戦であった。両軍無得点のまま迎えた七回裏、「代打、新庄」がコールされ、阪神ファンが総立ちとなった。二死満塁、4番新庄は太ももを痛めて、これまで二試合も欠場し、その日もスタメンから外されていた。しかし、その重圧をはね返して適時打を放ち、二者を生還させ勝利に導いた。その時の野村監督の采配を、私は目の当たりにして鳥肌が立った。
ところが、最下位が確定した時期に、あの呪うべき悪夢に直撃された。妻の脱税疑惑がテレビのワイドショーの餌食にされ、妻もろともに奈落の底へ転落させられ、引責辞任に追い込まれた。あれだけ世間を騒がせた妻の夫だから、仕方がないと思ってはみたものの、野球音痴の主婦たちが、「夫婦は一蓮托生だ」との美言を振りかざし、男の生き甲斐を奪ったことに、今でも我慢がならない。
その後釜に、星野仙一がしゃしゃり出て来た。それも、ファン心理を複雑なものにした。彼は、救世主になりたがっている。
ということで、心はればれとタイガースファンに復帰するには、あと一年はかかりそうだ。
宮里尚安
一年前までは、熱烈な阪神タイガースファンだと自認していた。敢えて「一年前までは」と断るのは、あまりにも無残な監督交替劇によってファン心理を踏みにじられ、憤然としてファンのバッチをはずしたからである。
野村克也監督は、万年最下位に甘んじて恥じないタイガースに、三顧の礼をもって迎えられた。だが、ぬるま湯に浸かり続けてきた選手たちが、ある日突然豹変して、巨人軍をねじ伏せる力を生み出す筈はない。名将の野村氏とても屈辱の日々であったに違いない。それでも、ファンは監督の手腕を信じ、夢を見続けていた。
私はプロ野球の観戦は一度しかないが、それは、奇蹟のドラマを生んだ二〇〇〇年六月三日の阪神―広島戦であった。両軍無得点のまま迎えた七回裏、「代打、新庄」がコールされ、阪神ファンが総立ちとなった。二死満塁、4番新庄は太ももを痛めて、これまで二試合も欠場し、その日もスタメンから外されていた。しかし、その重圧をはね返して適時打を放ち、二者を生還させ勝利に導いた。その時の野村監督の采配を、私は目の当たりにして鳥肌が立った。
ところが、最下位が確定した時期に、あの呪うべき悪夢に直撃された。妻の脱税疑惑がテレビのワイドショーの餌食にされ、妻もろともに奈落の底へ転落させられ、引責辞任に追い込まれた。あれだけ世間を騒がせた妻の夫だから、仕方がないと思ってはみたものの、野球音痴の主婦たちが、「夫婦は一蓮托生だ」との美言を振りかざし、男の生き甲斐を奪ったことに、今でも我慢がならない。
その後釜に、星野仙一がしゃしゃり出て来た。それも、ファン心理を複雑なものにした。彼は、救世主になりたがっている。
ということで、心はればれとタイガースファンに復帰するには、あと一年はかかりそうだ。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん