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2003年03月22日

がじまん第20号

この木なからましかば
―花泥棒に、柔らかい警告―

島元巖

 「泉崎りうぼう」に、よく買い物に出かける。城岳小学校の前を通り、しばらく行ったところ、楚辺のとある民家の庭で面白いものを発見した。そこは、こぢんまりとした花壇になっていて、手入れもいき届き、三色スミレが色鮮やかに咲いていた。これまで、マメに手入れをすれば、こんな小さな庭でも、こんなにきれいになるものだと、その庭の主(あるじ)の心も偲ばれ、感心しながらその前を通っていた。
 しかし、その日はちょっと違っていた。いつもの花壇に、次のような琉歌の小さな立て札があった。
 朝夕水かけて 育てたる花小 心ねん人の 持って行ちゅさ
 (アサユミジカキティ スダティアルハナグワ ククルネンヒトヌ ムッチイチュサ)
 どうやら花泥棒がいるらしい。丹精こめて育てた花を、無断で持っていく不届き者がいるようだ。立て札を見ていて情けなくなり、腹立たしくもなったが、ふと、兼好法師のことが頭をよぎった。徒然草の第十一段には、次のようなことが書いてある。

 神無月のころ、栗栖野といふところを過ぎて、ある山里にたずね入ること侍りしに、遥かなる苔の細道ふみわけて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋るる筧のしづくならでは、つゆおとふものなし。閼伽棚に、菊・紅葉など折りちらしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになるたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめてこの木なかりましかばとおぼえしか。

 この庵の主は、俗世の富や地位や名誉をかなぐり捨て、この閑静な庵住まいをしたはずである。無私・無欲になっていたはずで、柑子(みかん)など取られようと、われ関せずになっていたはずである。だが、俗世の欲が抜けきらず、柑子を取られまいとして、木の周りを囲っている。それを見た兼好は、「少しことさめて」とあるが、先ほどの感動はどこへやら、うんと興ざめしたに違いない。人が俗を離れることのむずかしい証左であろうか。
 しかし、兼好は、こうも書いている。かつて、綾小路の宮がいらっしゃるご殿に、鳥よけの縄が張られたことがある。これも俗気のせいであろうかと思われた。しかし、それは、鳥が群れて池の蛙を取って食べることを悲しんでの措置であったという(十段)。とすると、一概に責められるものではないと、兼好は考える。
 先ほどの琉歌の立て札を、兼好ならどう見るだろうか。花泥棒のなすがままでいいと言うだろうか。そして、現代の人たちは、この立て札をどう見るだろうか、と埒(らち)もないことを考えた。
 その日も「りうぼう」では可憐な花が売られていた。


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