2003年04月09日
がじまん第21号
続・私の文章作法
前回(がじまん11号 二月五日発行)は、書き出しと締めの文には気を使うと書いた。しかし、それは料理における前菜とデザートのようなものといってよい。
問題は何を書くかである。でも、内容はよくても一人よがりで読者に伝わらなければ意味がない。では、どう書けば伝わるか。私は次のような段取りで全体の組み立てを考えることが多い。
題材が決まると、それを用紙の中央に大きく書き、思いつくままに、なんでもよい、関連する語句をまわりに書き込む。思い浮かばないときは、数日かけて随時書き足していく。それが一定量に達すると、ばらばらな語句にいくつかの共通項が見えてくる。
次はそれらの語句を、小グループごとに区別し、それをさらに大きな群れにまとめて、それぞれ色鉛筆で囲っておく。後は、中心になるグループはどれか、その中の何を伝えたいかを考える。それが決まると、文章の構想が浮かんでくる。
例をあげる。「地図は自己主張する」(『爬竜船』)の場合はこうだった。題材は地図だから、さまざまな地図――生徒の我が家の地図から、世界地図、海賊の地図なども書き加えていった。
しばらく眺めていると、それらの地図は規模も用途も異なるのにすべて作図する側の立場、視点から描かれていることに気づいた。どれを見ても、それぞれの主張が裏側に潜んでいる。つまり、共通の核があった。それを主題にすることに決める。
次は構成である。まず結論は前、後ろ、どちらがよいか。材料の配列はどの順序でするか。軽いものと重いもの。柔らかいもの、硬いものをあれこれ並べ替えてみる。どちらが読みやすいかが決め手になる。一応のめどがつくと、それぞれの項目を細かく検討していく。具体的な細かい作業については、次回に譲ることにする。
(注)文中の『爬竜船』とは、当会が毎年刊行している合同エッセイ集第12集のタイトル。(ブログ管理人より)
儀間進
前回(がじまん11号 二月五日発行)は、書き出しと締めの文には気を使うと書いた。しかし、それは料理における前菜とデザートのようなものといってよい。
問題は何を書くかである。でも、内容はよくても一人よがりで読者に伝わらなければ意味がない。では、どう書けば伝わるか。私は次のような段取りで全体の組み立てを考えることが多い。
題材が決まると、それを用紙の中央に大きく書き、思いつくままに、なんでもよい、関連する語句をまわりに書き込む。思い浮かばないときは、数日かけて随時書き足していく。それが一定量に達すると、ばらばらな語句にいくつかの共通項が見えてくる。
次はそれらの語句を、小グループごとに区別し、それをさらに大きな群れにまとめて、それぞれ色鉛筆で囲っておく。後は、中心になるグループはどれか、その中の何を伝えたいかを考える。それが決まると、文章の構想が浮かんでくる。
例をあげる。「地図は自己主張する」(『爬竜船』)の場合はこうだった。題材は地図だから、さまざまな地図――生徒の我が家の地図から、世界地図、海賊の地図なども書き加えていった。
しばらく眺めていると、それらの地図は規模も用途も異なるのにすべて作図する側の立場、視点から描かれていることに気づいた。どれを見ても、それぞれの主張が裏側に潜んでいる。つまり、共通の核があった。それを主題にすることに決める。
次は構成である。まず結論は前、後ろ、どちらがよいか。材料の配列はどの順序でするか。軽いものと重いもの。柔らかいもの、硬いものをあれこれ並べ替えてみる。どちらが読みやすいかが決め手になる。一応のめどがつくと、それぞれの項目を細かく検討していく。具体的な細かい作業については、次回に譲ることにする。
(注)文中の『爬竜船』とは、当会が毎年刊行している合同エッセイ集第12集のタイトル。(ブログ管理人より)
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
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