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2003年07月20日

がじまん第28号

男と女の間を覗く
島元巖

 「パンタ・レイ(万物は流転する)」は、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトス(BC五三五ごろ~BC四七五ごろ)の言葉だというが、この世の流転(変化)の相は、哲学者の言葉を俟(ま)つまでもなく、誰でも、大なり小なり、目の当たりにしている。
 下世話に、「歌は世につれ、世は人に連れ」というのがある。多くの流行歌は、世の中の変化を映してもてはやされ、そして、アブクのように消え去っていく。同様に、人も日々変化し、消え去るものらしい。しかし、男女間の愛情(愛憎)は、昔も今も変わらないようだ。「黒の舟歌」という流行歌を思い出す。

(1)男と女の間には、深くて暗い河がある。
   誰も渡れぬ河なれど、エンヤコラ今夜も船をこぐ。
    ローエンドロー ローエンドロー 振り返るな ロー。

(5)お前と俺との間には、深くて暗い河がある。
   だけどやっぱり会いたくて、エンヤコラ今夜も舟をこぐ。
    ローエンドロー ローエンドロー 振り返るな ロー。

 ※二番・三番・四番は省略

 古い話になるが、枕草子一七一段に、「遠くて近きもの、極楽、船の道、男女の仲」というのがある。しかし、右の「黒の舟歌」によると、両者の間には、どうにもならない河があるという。男と女の間(仲)は、「近くて遠きもの」でもあるようだ。
 ストレスは健康の大敵だという。そのストレスを確実に溜める方法は、どうにもならないコトを、どうにかしようとがんばることだという。とすると、どうにもならない男と女の仲を、どうにかするのは、よしたほうがよさそうである。
 しかし、「色好まざらむ男は~玉の盃の底無き心地ぞすべき」ともいう(徒然草三段)。男との女の間は摩訶不思議である。人はこの摩訶不思議な世界に誘われて、今夜も船を出す。
 男と女の間には、日常語の面では、次のような違いが見られる。男の子をムス(息子)といい、女の子をムス(娘)という。ム(婿)に対する語はヨ(嫁)である。かつては、ヒ(彦)やヒ(姫)という言葉もあった。とすると、オト(男)に対する語はオト(乙女)であろうか。
 男女の言葉遣いの差が縮まった。髪型や行動においてもそうである。今や、男と女の間には、「コ」と「メ」の一字程度の違いがあるだけで、どうにも渡れない河はなさそうである。


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