2003年10月10日
がじまん第35号
宮沢賢治と幸福
一般的に、幸福とは心に喜びが充満した状態を言う。逆に、不幸は心に苦悩・不安・悲哀・怒り等を持ち続けている状態を言う。人間が生きていく上で、それらは多かれ少なかれ誰にもある。したがって、幸・不幸は一概に定義することは難しい。
宮沢賢治は、「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と、「農民芸術概論」の中で述べている。賢治の三十七年の生涯は、生きとし生けるものの幸福探しの旅であった。
賢治にとって、ほんとうの幸福とは何であったか。作品の中で「みんなのほんとうの幸福」という文言はあるが、明確に彼自身の幸福観は記していない。賢治の生涯の軌跡から、幸福について考えられることは、
(一)最低の食生活が保障されること
(二)信仰を持って安心立命を得ること
(三)芸術や文芸によって人の心に歓喜をもたらすこと
以上の三点のように思われる。そこで、(一)について、農業指導者としての賢治の営為を少し考察したい。
岩手県は、百姓一揆が頻発した有数県である。冷害のために農作物が凶作となり、歴史的に多くの餓死者や間引きを出した天恵乏しい県である。賢治の生家の近くの松庵寺(しょうあんじ)の境内には、諸方から集められた十数基の供養塔が建立されている。「餓死者供養塔」・「疫癘(えきれい)供養塔」・「飢餓供養塔」・「衆子供養塔」等の文字が刻印され、その惨状は惨憺たるもので、肝はつぶれ、目も覆いたくなる思いにさせられる。
幼少のころの賢治は、友だちと無邪気にもその供養塔に跨って遊んだ。長ずるに及んで、その遊具の供養塔が餓死者の供養塔であることを知り心を痛めた。後年の賢治の貧しい農民へのいたわりと、農業指導者として活躍する原風景がそこにあった。
今年は、冷害で稲作は不作だと喧伝されいる。世界中の人々に十分に食が与えられることは、賢治にとって大切なほんとうの幸福であったような思いがしてならない。反対に、食料が欠乏することは最大の不幸である。
屋比久貞雄
一般的に、幸福とは心に喜びが充満した状態を言う。逆に、不幸は心に苦悩・不安・悲哀・怒り等を持ち続けている状態を言う。人間が生きていく上で、それらは多かれ少なかれ誰にもある。したがって、幸・不幸は一概に定義することは難しい。
宮沢賢治は、「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と、「農民芸術概論」の中で述べている。賢治の三十七年の生涯は、生きとし生けるものの幸福探しの旅であった。
賢治にとって、ほんとうの幸福とは何であったか。作品の中で「みんなのほんとうの幸福」という文言はあるが、明確に彼自身の幸福観は記していない。賢治の生涯の軌跡から、幸福について考えられることは、
(一)最低の食生活が保障されること
(二)信仰を持って安心立命を得ること
(三)芸術や文芸によって人の心に歓喜をもたらすこと
以上の三点のように思われる。そこで、(一)について、農業指導者としての賢治の営為を少し考察したい。
岩手県は、百姓一揆が頻発した有数県である。冷害のために農作物が凶作となり、歴史的に多くの餓死者や間引きを出した天恵乏しい県である。賢治の生家の近くの松庵寺(しょうあんじ)の境内には、諸方から集められた十数基の供養塔が建立されている。「餓死者供養塔」・「疫癘(えきれい)供養塔」・「飢餓供養塔」・「衆子供養塔」等の文字が刻印され、その惨状は惨憺たるもので、肝はつぶれ、目も覆いたくなる思いにさせられる。
幼少のころの賢治は、友だちと無邪気にもその供養塔に跨って遊んだ。長ずるに及んで、その遊具の供養塔が餓死者の供養塔であることを知り心を痛めた。後年の賢治の貧しい農民へのいたわりと、農業指導者として活躍する原風景がそこにあった。
今年は、冷害で稲作は不作だと喧伝されいる。世界中の人々に十分に食が与えられることは、賢治にとって大切なほんとうの幸福であったような思いがしてならない。反対に、食料が欠乏することは最大の不幸である。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん