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2004年01月20日

がじまん第41号

屋嘉比島の猿
―サル年にちなんで―

宮城恒彦

 屋嘉比島は座間味村の無人島で、漁場として格好の場所である。
 漁師の太郎爺さんは、その島へよく釣りにいった。ある日、いつものように出掛けると、波打ち際で黒い動物が動き回って何かを漁っている。浜辺の近くの岩陰から覗いてみた。それは、一匹の猿で渚に流れ着いた芋を食べていたのである。
 初めのうちは、人の気配に隠れたりしていた猿も、慣れるにつれて、お昼として持参した芋の中から数個岩の上に置くと、猿はそれをほお張りながら、沖で釣りをする爺さんを眺めたりするまでになった。こんなことが続いているうちに、その猿が可愛くなって、時化が続くと、猿に会えない寂しさが募った。
 天気が収まったある穏やかな日、潮もよく引いたので、猿は久しぶりに潮干狩りに出掛けた。干潟や海中から餌を漁っていた。そのうち、窪みに大きなアジケー(シャコ貝)を見つけた。ひだ状の大きな唇が、青紫や赤茶色などに変化しながら怪しくうねっていた。その唇に誘いこまれるように指をさし込んでみた。悲鳴とともに指を引いたが、時すでに遅く、がちっと挟まれてしまった。
 騒げど、喚け(わめけ)ど、誰もいない島のこと。磯吹く風が無情に過ぎていくばかり。満ち潮の潮騒が近くまで迫ってくる。日も暮れかかり、おまけに雨も降り出してきた。左手でアジケーを揺するが、食いつかれた左手の痛みに耐えかねて、力が入らない。次第次第に猿の姿は海水に隠れていく。とうとう見えなくなってしまった。あたりの海面は、何事もなかったかのように静まりかえった。
 翌日、釣りにやってきた爺さんは、潮が引いた後、干潟に痛ましい猿の姿を見つけた。「自分がいたら…」と悔やんだ。悶え苦しんで死んでいったであろう彼の無念さを思い、追悼の歌を唱えた。――潮ん満ちゅい 雨ん降ゆい 許ちたぼれアジケーの主
 亡骸をアダンの蔭に埋めて、砂を盛り、その上に黒い大きな石を乗せた。そして、懇ろに弔った。その後、漁に来る度に芋と水を供えて供養した。それ以来、太郎爺さんは漁獲が多くなり、座間味一の漁師になったという昔話である。


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