2004年03月20日
がじまん第45号
ネグレクト?
ネグレクト、という言葉がある。それは、無視すること、ないがしろにすることの意味で、近年は、「母親の育児拒否・放棄」という意味にも使われている。新聞で、はじめてこの言葉を目にしたとき、ひどくショックをおぼえたものだが、この頃では「児童虐待」という恐ろしい事件まで相次いでいる。
われの血の重さかと抱きあげぬ暖かき息して眠りゐる子を
ひるがほの花あかりほどのわが胸に額埋めて稚かりける
子育ての歌である。ご夫婦ともに歌人。現在、第一線で活躍しておられる河野さん二十代の歌。河野さんは、一九四六年(昭和二十一年)生まれである。この歌に詠まれたお二人のお子さんは立派に成長しておられ、そのお一人が、現代歌人協会賞を受けられた。今をときめく歌人ファミリーでもある。
ところで、今や、子育ては父親も当然のこととしてジェンダーのバイヤスがかかっているのが一般的だが、それでなくとも、幼い子と接する父親の表情はなんともステキだ。こんな歌もある。
子の寝顔さわればはらりうち払う夢にいかなる翼を見たか
抱きかかえ顔を枕にのせてやるまどかなる子の夏の夜のため
作者の最新歌集『ニュー・エクリプス』からひいた。作者は、一九五九年生まれで、歌集『未来』の選者。こちらは、お母様の加藤ミユキさん(歌人)の勧めで短歌をはじめる。仕事以外に心を充たせるもの、ということで一冊のノートにびっしり現代短歌を書写して送ったのがきっかけという。ミユキさんの『野ばらの記』には、子供こそ宝という思いが鏤められている。
身近なところから拾った話題だが、このような歌を読んで、ふと蘇る子育ての頃のあの感触、親にとってほんのひと時の、最も美しい時間ではないかと思う。ネグレクトや「虐待」をどうにか未然に防ぐ方法はないものだろうか。
永吉京子
ネグレクト、という言葉がある。それは、無視すること、ないがしろにすることの意味で、近年は、「母親の育児拒否・放棄」という意味にも使われている。新聞で、はじめてこの言葉を目にしたとき、ひどくショックをおぼえたものだが、この頃では「児童虐待」という恐ろしい事件まで相次いでいる。
われの血の重さかと抱きあげぬ暖かき息して眠りゐる子を
河野裕子
ひるがほの花あかりほどのわが胸に額埋めて稚かりける
河野裕子
子育ての歌である。ご夫婦ともに歌人。現在、第一線で活躍しておられる河野さん二十代の歌。河野さんは、一九四六年(昭和二十一年)生まれである。この歌に詠まれたお二人のお子さんは立派に成長しておられ、そのお一人が、現代歌人協会賞を受けられた。今をときめく歌人ファミリーでもある。
ところで、今や、子育ては父親も当然のこととしてジェンダーのバイヤスがかかっているのが一般的だが、それでなくとも、幼い子と接する父親の表情はなんともステキだ。こんな歌もある。
子の寝顔さわればはらりうち払う夢にいかなる翼を見たか
加藤治郎
抱きかかえ顔を枕にのせてやるまどかなる子の夏の夜のため
加藤治郎
作者の最新歌集『ニュー・エクリプス』からひいた。作者は、一九五九年生まれで、歌集『未来』の選者。こちらは、お母様の加藤ミユキさん(歌人)の勧めで短歌をはじめる。仕事以外に心を充たせるもの、ということで一冊のノートにびっしり現代短歌を書写して送ったのがきっかけという。ミユキさんの『野ばらの記』には、子供こそ宝という思いが鏤められている。
身近なところから拾った話題だが、このような歌を読んで、ふと蘇る子育ての頃のあの感触、親にとってほんのひと時の、最も美しい時間ではないかと思う。ネグレクトや「虐待」をどうにか未然に防ぐ方法はないものだろうか。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん