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2004年04月10日

がじまん第47号

蛍の光 今いづこ
島元巖

 じんじん(一番は割愛)

二、ジンジン ジンジン ちぶやぬ みじぬでぃ
    うてぃりよー ジンジン さがりよー ジンジン

三、ジンジン ジンジン くむじぬ みじぬでぃ
    うてぃりよー ジンジン さがりよー ジンジン
      高江洲義寛著『沖縄わらべうたの世界』より

 「ジンジン」を、糸満のある地域では、「ジンジンダークー」という。そのジンジンダークーにお目にかかれなくなって久しい。どこへ行ってしまったのだろうか。
 ジンジンには、いろいろな思い出がある。煮たイモを練って、小さなボールを作り、その中にいくつものジンジンを閉じ込め、その微かな光で読書の真似事をした。六六年以上も昔の話ではある。
 『蛍の光』は、卒業式や終了式の定番であった。しかし、最近は、この歌も歌われなくなっているようである。歌詞が文語のセイであろうか。それとも、その内容が時世にマッチしない、ということなのだろうか。蛍の微かな光は、今、まさに風前の灯火である。
 『蛍の光』は、文部省が、明治十四年(一八八一年)に、『小学唱歌集』に載せたもので、その原曲はスコットランド民謡の『久しき昔』だという。『蛍の光』は、二番まで歌うのが慣例であった。しかし、歌詞は四番まであって、その四番には、沖縄が登場していた。ところが、日清戦争(明治二七年~八年=一八九四年~一八九五年)後、台湾が日本に併合されると、四番の歌詞から沖縄が消え、代わりに台湾が登場した。ともあれ、この歌は、「蛍の光 今いずこ?」と、回想の昔語りになりつつある。

 蛍の光(明治十四年・文部省『小学唱歌集・初』)

一、蛍の光、窓の雪。書(ふみ)読む月日かさねつつ、
    いつしか年もすぎのとを、あけてぞ今朝は別れゆく。

二、止まるも行くも限りとて、かたみに思ふちよろずの、
    心のはしをひとことに、さきくとばかり歌うなり。

三、筑紫の極み、道の奥。海山遠く隔つとも、
    そのま心は隔てなく、一つにつくせ、国の為。

四、千島の奥も沖縄も、八州(やしま)のうちの守りなり。
    いたらん国にいさおしく、つとめよわが背、つつがなく。

 その昔、晋の車胤は貧乏で油が買えなかったので、蛍を集めてその光で読書し、孫康は窓の雪の明るさを利用して読書をしたとのことである。『蛍の光 窓の雪』の由来だという。そんな故事のあることも知らずに、煮たイモを練ってボールを作り、その中に蛍を入れ、その微かな光で読書の真似事をした。おそらく、先輩たちの真似をしたのであろう。

 (注) 四番は、「千島の奥も台湾も、」に変更された。


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