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2004年04月15日

がじまん第48号

今日こそ別れ目、いざさらば
―ああ、仰げば尊しわが師の恩―

島元巖

 昭和五十二年(一九七七年)二月初旬のことであった。県立C高校でも、卒業式の準備が始まっていた。三年生担当の学年会では、『仰げば尊し』を歌わせるかどうかでもめていた。けっきょく、その歌はやめたいとの申し出があった。理由を聞くと、歌詞の「立身出世主義」がいけないという。しばらくして、そのことを知った三年生から、強硬な異議の申し立てがあった。「ぼくたちは、『仰げば尊し』を歌いたい。それ以外の歌では、卒業の気分が湧かない」という。そこで、担任と生徒たちの話し合いが持たれた。結果は、生徒たちの気持ちを尊重することになった。生徒たちは、「教師への感謝の気持ちを、精一杯、表したい」といい、「卒業式のムードも大切にしたい」ということであった。
 ところで、現在でも、その「仰げば尊し」を歌わせる高校があると聞く。ということで、その歌の歌詞を、敢えて次にかかげ、わが師の恩を偲ぶことにする。

 仰げば尊し(明治十七年・『小学唱歌集・三』)

一、仰げば尊しわが師の恩。教えの庭にも、はや、いくとせ。
   思えはいと疾し、この年月。今こそ別れめ、いざさらば。

二、互いに睦みし日頃の恩。別るる後にも、やよ、忘るな。
   身を立て、名をあげ、やよ、はげめよ。今こそ別れめ、いざさらば。

三、朝夕なれにし学びの窓。蛍の灯火、積む白雪。
   忘るる間ぞなき往く年月。今こそ別れめ、いざさらば。

 この歌に関しては、次のような逸話もある。辞書出版で有名な、ある大手出版社(書店)の古語辞典は、「今こそ別れめ、いざさらば」を、「今こそ別れ目、いざさらば」としていた。
 「こそ」という係助詞がきたら、結びは「巳然形」になるという「係り結びの法則」がある。だから、「め」は、「目」という名詞ではなく、「意思・推量」の助動詞「む」の巳然形であることは、一目瞭然である。その「む」には、意思・推量の他に、希望または勧誘の意味もある。だから、「別れめ」は、「お別れしましょう」の意味に取るべきであろう。山椒は小粒でピリリと辛い。助詞・助動詞も、小粒ながら、よくスパイスを効かせる。そして、筆者の立場(判断等)を表現して文章の陳述に関与する。
 辞書出版の実際の作業は、若い研究者などが当たり、最後に、その道の大御所の名前を「監修」として頂いて威厳を示していたようである。でも、大御所でも、「別れ目」を見落とすことがあった。ともあれ、『仰げば尊し』の『蛍の光』と同様に、「蛍の灯火」と「積む白雪」を教育と結び付けている。


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