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2004年05月05日

がじまん第49号

石廊崎友の会
宮里尚安

 旅自慢は、聞く相手と場所が程よくマッチしないと弾まない。旅の種類も、小さくてつつましいのが語る側も気を使わず、聞く側も対等の気分で待つことができる。
 私は幸いなことに、聞かせやすい相手がたむろする場末の小空間を共有しているため、互いの旅自慢を語り勝負している。
 伊豆半島一周の独り旅は、格好の上演となった。一昨年の九月、恋い焦がれていたその半島の地を敢然と巡り終え、いつものカウンターで近況を聞かれて、さりげなく切り出すことができた。
 私が伊豆半島でターゲットにしたのは石廊崎のたった一ヶ所で、とにかく、石廊崎の突端に立つことさえできればよかった。直行も難しいので、東京の会合が終った日を選び、熱海・下田でそれぞれ一泊し、下田駅からバスでその岬へと向かった。かなりの走行時間なので乗客は次々と入れ替わり、私が心中で一点の行く先のみを凝視している様を見ぬく者はなく、私は普通の乗客として身を委ねていた。
 バスは石廊崎の停留所でエンジンを切った。三〇分しか停まらないとの事。売店の人も乗り遅れを危ぶんだが、リュック姿のままで失踪。かなり急でつづら折りの石段を駆け下りて、とうとう突端に立った。眼下でうち砕ける白波の音を耳に吸い込ませ、吹き上げてくる潮風をまともに受けて破顔し、野望達成の現場撮影を完了して引き揚げた。大岩の下に刳り貫かれて造られた神社に感謝を捧げると、脱兎の如く石段を駆け上がり、息も絶え絶えの態でバスに間に合った。
 私は沖縄からは滅多に行かない秘教の地へさりげなく行って来たという声音で話したが、最も近しい酒友のNが二度も行ったというではないか。
 私は鼻骨を折られてグシャリ。ところが、彼の次の一言で完全に蘇生した。
「でも、二度とも灯台の辺りから岬を見下ろしただけでさ、バスの待ち時間が短かったもんだから。」
 瞬時にして逆転勝ち。勝利を宣言して高々とコップを合わせたのは言うまでもない。
 一ヶ月後に来合わせたCさんは、彼方に灯台が見える所で記念撮影しただけ。余裕勝ちのため、たっぷりと岬の形状を伝えた。まだ二人もいたが、結局、四人とも岬の突端に立った者はなく、一人勝ちの特権を維持している。
 岬に立ったかどうかだけの争点が、酒の味をどれだけ変えるのか。百万言をもってしても、伝えきれない。


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