てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第58号

2004年08月10日

がじまん第58号

色ざんまい③
―万葉集と色彩語・そして「色いろ」―

島元巖

 どれくらい昔のことかは、はっきりしないが、わが国には、色彩語が、アカ・シロ・クロ・アオの四つしかなかった時代があったという。この時代、ミドリはアオから分化しておらず、ミドリ系統の色は、すべてアオに統括されて表現されていた。それが、万葉時代になると、ずいぶんと色彩語が増えている。

あかねさす 野行き 標野行き 野守りは見ずや 君が袖振る
(巻一 二〇)

の 匂へる妹を 憎くくあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも
(巻一 二一)

※ 春は萌え 夏は緑に の まだらに見ゆる 秋の山かも
(巻十 二一七七)

みどり子の ためにこそ乳母は 求むといへ 乳飲めや君が 乳母求むらむ
(巻十二 二九二五)

はねず色の うつろひ易き 心あれば 年をぞ来経る 言は絶えずて
(巻十二 三〇七四)


 これらの歌からも分かるとおり、万葉集には、アカネ色・ムラサキ色・ミドリ色・クレナイ色・マダラ色・ハネズ色等々も使われている。しかしこの時代に、草木の色を「ミドリ」と表現することが一般化していたかどうかは分からない。
 次の古今集の歌は、草木の色を「みどり」で表している。現代語と同じ意味の、「色いろ」という語も使われている。

みどりなる ひとつ草とぞ 春は見し 秋は色いろの 花にぞありける
(古今秋上 巻四 二四五)

※ (春は、緑一色の一種類の草だとばかり思っていたが、それが秋になったら、色とりどりの花であったよ。)

 時代は現代に下って、島崎藤村の詩をとりあげる。そこには、緑という語が、草(はこべ)の色として登場する。

  小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
  緑なすはこべは萌えず 若草も藉くによしなし
  しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る

 しかし、緑が草木の色として使われる現代でも、「青々とした麦畑」等の用法はある。慣用というものであろう。
なお、色の種類の多いこと(様々な色)を「色いろ」というが、そこから、「何でも種類の多いこと」、「ものごとがたくさんあること」をも「色いろ」というようになった。


タグ :島元巖

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん