2004年09月11日
がじまん第62号
書くのがこわい
エッセイスト・クラブの会員であること二十二年。よくもまあ懲りもせず心に浮かぶよしなしごとを書き綴ってきたものだ。
書くことは恥をかくこと、と誰かが言っていたがまさにそのとおり。初期のころの自分の作品をいま、読み返してみると、赤面させられることが多い。過去の自分に赤面させられるということは、現在の自分もまた将来、振り返ってみたとき未熟さをさらけ出しているだろうことを暗示している。そう思うと、書くことがそら恐ろしくなるときがある。
一方、過去の作品に未熟さを感じるということは、感性がそれだけ進化を続けているということだから、何も気にすることはないじゃないか、という声も心のどこかから聞こえてくる。言われてみればその通りでもある。
エッセイスト・クラブと共に過ごしたわたしの二十二年間は、その対立する躁とウツの心理を行ったり来たりする二十二年間だったような気がする。
スランプというものは、おそらく誰にでもあるものだろう。テーマが見つからない、想が伸びない、描写力が足りない。凡庸な比喩しか浮かばない、というようなないないづくしの袋小路。この暗いトンネルに入り込むと、原稿用紙の升目がなんと疎ましいことか。
今年は作品提出をパスしよう、と思ったことが何度かあった。そんなとき励ましてくれたのが「継続こそ力なり」という当クラブの合言葉だった。どんな稚拙な作品でも継続の鎖の一つの輪としての役割がある。作品の純度を上げることよりも、まず継続が第一の目標、と割り切ってみると目の前の霧がすっと引いていくような気がするのだった。
ときどき、もしエッセイスト・クラブなかりせば、と考えることがある。あの作品合評のさまざまな見方、考え方に揉まれることなく、ただ自分の殻の中で惰眠をむさぼっていたらどうなっていただろう、と考えるとゾッとする。おそらく、独りよがり、過剰な思い入れ、自己満足などの不純物に気づかず、鼻持ちならない作風を後生大事に担いでいたであろうことが想像される。エッセイスト・クラブの相互啓発のおかげで、自分の作品を多少なりとも客観的に見れるようになったのは大きな収穫であった。
今年も作品提出の季節がやってきた。テーマはまだ見つかっていない。いざ原稿用紙と向かい合ったとき、躁の卦が立つかウツの卦が出るか自分でも分からない。
金城弘征
エッセイスト・クラブの会員であること二十二年。よくもまあ懲りもせず心に浮かぶよしなしごとを書き綴ってきたものだ。
書くことは恥をかくこと、と誰かが言っていたがまさにそのとおり。初期のころの自分の作品をいま、読み返してみると、赤面させられることが多い。過去の自分に赤面させられるということは、現在の自分もまた将来、振り返ってみたとき未熟さをさらけ出しているだろうことを暗示している。そう思うと、書くことがそら恐ろしくなるときがある。
一方、過去の作品に未熟さを感じるということは、感性がそれだけ進化を続けているということだから、何も気にすることはないじゃないか、という声も心のどこかから聞こえてくる。言われてみればその通りでもある。
エッセイスト・クラブと共に過ごしたわたしの二十二年間は、その対立する躁とウツの心理を行ったり来たりする二十二年間だったような気がする。
スランプというものは、おそらく誰にでもあるものだろう。テーマが見つからない、想が伸びない、描写力が足りない。凡庸な比喩しか浮かばない、というようなないないづくしの袋小路。この暗いトンネルに入り込むと、原稿用紙の升目がなんと疎ましいことか。
今年は作品提出をパスしよう、と思ったことが何度かあった。そんなとき励ましてくれたのが「継続こそ力なり」という当クラブの合言葉だった。どんな稚拙な作品でも継続の鎖の一つの輪としての役割がある。作品の純度を上げることよりも、まず継続が第一の目標、と割り切ってみると目の前の霧がすっと引いていくような気がするのだった。
ときどき、もしエッセイスト・クラブなかりせば、と考えることがある。あの作品合評のさまざまな見方、考え方に揉まれることなく、ただ自分の殻の中で惰眠をむさぼっていたらどうなっていただろう、と考えるとゾッとする。おそらく、独りよがり、過剰な思い入れ、自己満足などの不純物に気づかず、鼻持ちならない作風を後生大事に担いでいたであろうことが想像される。エッセイスト・クラブの相互啓発のおかげで、自分の作品を多少なりとも客観的に見れるようになったのは大きな収穫であった。
今年も作品提出の季節がやってきた。テーマはまだ見つかっていない。いざ原稿用紙と向かい合ったとき、躁の卦が立つかウツの卦が出るか自分でも分からない。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん