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2005年09月05日

がじまん第84号

家出した猫が帰ってきた
伊志嶺安進

 しばらく留守にするので家の見回りとペット小屋に飼っている猫のチビ(動物年齢では老年だがチビと呼んでいる)に餌を与えてくれるように、と息子夫婦に頼まれた。
 飼い主ではないのに私がペット小屋に立ち寄ると、チビは私の足元に擦り寄ってズボンの裾に体をこすってはしきりに餌を催促するしぐさを繰り返す。もともとペットには興味のない私が少しずつ注目し、ささやかな愛情を感じ始めたから不思議である。猫の食器にたっぷり餌を入れてやると、脇目も振らずに食べる。そして、「チビ! 明日また来るからバイバイ」と手を振ってもチビは見向きもせずに食べるのに夢中であった。
 二週間目を迎えた日、いつものように家の見回りをしたが、チビがいない。どんなに声をかけても現れない。よく見ると、手間の物置の裏にじっとしたまま動こうとしなかった。さては病気かなと思って食べ物と飲み水を勧めたが、一向に口に入れようとはしない。確かに病気だと気づき俄に不憫の情が湧き、死期が近いと予感さえしたくらいであった。そのうちチビは私の背丈程のブロック塀に這い上がり、徐(おもむろ)に塀の上を危なげに歩いて私と距離を置いてじっと私を見つめたままであった。あ、これが「わが輩は猫である」の正体かなと思いながらも、それ以上手がつけられないので気にはなったがいたしかたなく家路へと急いだ。
 明くる日も次の日も見回りに行ったがチビは姿を見せなかった。幾人かの話では、猫は死期が近づくと人目を避けて森の中へ消えて行きそこで息を引き取るらしいと聞いていたので、死出の猫(チビ)を悼む気持ちで懇(ねんご)ろに黙祷を捧げた。ほんとうに悲しい思いがした。
 そのうちに息子たちが遠くの山原から戻ってきたので事の経緯(いきさつ)を話した。彼たちはチビの行方を悲しみながらもどこかで無事でいてほしいと祈りを込めて合掌した。不思議なことに祈りが通じたのかその翌日衰弱しきったチビが帰ってきたとの連絡を受けた私は、鳥肌が立つようにびっくりした反面ほっとした。
 さまざまな生き物の生態を世間話に耳学問として聞くこともたびたびあるが、野生動物の中には自己の限界を知っているという話もある。スズメもハトも死ぬときは誰にも見つからない所に行くという。鷲の長(おさ)の死も壮絶なようで自らの力の衰えを知ると晴れ渡った日、高く高くどこまでも天空に上がって行く。そして一転の雲もない中天から真っ逆さまに山頂の岩頭に突っ込みわが身を打ち砕いてしまうという。「武士道とは死ぬことと見つけたり」ということばを思い出して、潔い話だと思ったりもした。
 ともあれ、チビが飼い主に恩を感じて古巣に戻ってきた「小さな物語」は、私の心の隅にいつまでも焼きついて離れないだろう。


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