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2005年11月15日

がじまん第89号

イノシシやサルのいる暮らし
上原盛毅

 九月のはじめ、ずーっと気にかかっていた下田の山奥に住む大学時代の友人Aを訪ねることにした。同じ仲間Iに声をかけると同行するという。ホンダの役員も勤めた彼は無類の運転好きで、国内の殆どを車で回っているし、年に少なくとも三回は海外でレンタカーを乗り回している。今回は愛車ホンダCRVを繰り出すというので、九時に小田急線向ヶ丘遊園駅で落ち合った。
 高速を避けて、のんびり途中の景色を楽しみながら伊東近くの海岸沿いで昼食を取り、伊豆急の終点手前の蓮台寺駅に着いたのは三時過ぎだった。迎えに来た作業服姿のAとは三年ぶりだったが、一瞬老けたなと感じた。話しているとすぐその感じは消えたが、Aも同じ思いだったかもしれない。ひなびた蓮台寺駅を五分も過ぎるとすぐに傾斜が急になって、山が深くなり、曲がりくねった林道になる。大雨や地震によってはいまにも崩れ落ちそうな危なっかしい道路である。
 Aは十年前に百姓になろうと大手商社を早期退職した。九州、四国などの土地も見回ってようやく、この地に落ち着いたという,標高三百メートルの尾根沿いの高台を整地して建てられた田舎風の母屋からは三方の折り重なる山並みが眺望されて、何とも気分爽快である。一番美しいのは山の所々に咲く桜が霞みがかって見える時期らしい。
 さっそく農園を見せてもらう。傾斜が急だから段々畑風に削って、十畳くらいの菜園を幾つか造っているが、驚いたことに各々が檻のように囲われている。イノシシ対策という。収穫期になるとイノシシ一家が出没して荒らし回るらしい。確かに、甘(あま)夏(なつ)の木の下には糞や甘夏の食い残しなどが散乱し、彼らの獣道が出来ていた。移住当初はあまりの害の激しさに音を上げ、地元の長老に相談したら、「Aさん、ここは元々彼らの住処だ。あなたが新参者だから、彼らの残してくれた分を有り難く頂きなさい」と言われ、なるほどと納得して平和共存することにした。飼い犬も主人同様納得したのかイノシシ一家の行動は黙って見ているだけという。また、数日前は、カボチャを取り入れに行くとその寸前にサルたちがカボチャを抱えて逃げるところだった。あまりにその格好が可笑しかったので、そのまま見逃してやったという。
 夜は奥さんの手料理を頂きながら、四十五年前の学生時代に還って遅くまで飲んだ。日本酒を二本半は転がしたらしい。気の置けない仲間と美味しい料理と酒があれば、人間幸せであることがよく分かった。
 翌日、朝食のときに、ここの生活は如何ですかとそっと奥さんに伺ったら、山の生活は変化に富んで素晴らしいという答えが返ってきた,実際に、草木染をしたり、蔦蔓でかごや鉢吊りを作ったり、標本を集めたりして、いつも新しい出会いと発見があるから山は宝ですとさわやかにおっしゃったのである。
 私たちは満ち足りた気分で帰路についた。


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