2006年08月15日
がじまん第107号
愛しのコンピュータ
私が初めてコンピュータを購入したのは今から二十一年前で、海邦国体の二年前である。当時としては申し分のないコンピュータを、フルセット七十五万円で購入した。その頃同僚から、「みんなで買えば大きく割引してくれるそうだが、いっしょに買わないか。」と、一行表示のワープロ購入の誘いを受けた。二十九万八千円のマシンを五名以上で購入したら、二十五万円で買えるという。私は迷って、大学の先輩に相談した。時代の先を読み取ることに長けている彼いわく、「ワープロなんて買うな、これからの時代は、コンピュータだ。どうせ買うなら少々高くても、コンピュータがいい。」この一言で決心した。妻を説得して、数か月分の給与を注ぎ込んで手に入れた。定価百万円から、二十五万円を値切っての買物だ。十枚入りのフロッピーディスク一箱が、一万円以上もした時代だ。
最初は意気込んで、いろいろなプログラム言語を勉強してコンピュータを使いこなすつもりだった。しかし、プログラム言語をやり始めて、バカバカしくなった。労多くして、実少なしだ。その時悟った。ブームにあおられて、追随するのはバカげている。コンピュータは、自分が必要とする機能を使いこなせばいいということを。それ以降、自己流でこれはと思う機能やソフトを勉強した。分からないことや疑問が生じると、コンピュータ関連の本を購入して調べた。その頃同僚にマニアックな若者がいて、どうしても分からない時には、彼に電話で聞いた。延々と一時間以上もコンピュータと電話の間を往復しながら、深夜に教えてもらったこともある。携帯電話もない時代だ。
操作能力が向上するにつれ、仕事にも大いに貢献するようになった。名簿作りやいろいろな文書作成等だ。他機関に文書提出の際、こんなこともあった。コンピュータできれいに仕上げた文書を、担当者がまじまじと見て言った。「コンピュータを使えば、印刷屋並みのことが、それぞれの職場でできるようになるんですね。」
最近は、コンピュータを使ったプレゼンテーションは当たり前となっている。図表や写真を取り入れて、インパクトのある説明にするためだ。ただ、これも度が過ぎると、「ほら吹き」か「ユグリハイカラー」と言いたくなる場合もある。乏しい中身を誇張したり、体裁を繕ったりすることがあるからだ。
『コンピュータの生鮮食品化』という言葉がある。コンピュータは古くなると、すぐ役立たずになり置場に困る、ということだ。大枚をはたいて買ったコンピュータを、おいそれと生ゴミ同様にするわけにはいかない。メーカーに踊らされて最新のマシンに買い換えることなく、コンピュータを使いこなすにはどうするか。自分でグレードアップすることだ。そのためにはコンピュータの仕組みや各部品の機能を熟知することと、コンピュータに関する最新情報を常に入手する必要がある。いったん目を向けるとがむしゃらに追求した。その甲斐あって、今ではコンピュータの改造や組み立てが、なんとかできるようになった。コンピュータを自作すると安くつくかとよく聞かれるが、必ずしもそうではない。大きなメリットは、部品の使い回しができるため、経済的だということだ。
これまで、故障したものや型遅れのマシンをもらい、修理して使った機械がかなりある。こんな中古マシンだが、なだめ好かしている気分になり、愛着すら湧いてくる。ただ、このレベルでは最高速度六十キロの車を運転しているようなもので、飽きが来る。高速道路やオフロードを走ってみたくなると、物足りなさを感じる。そこで、今年の夏は奮発して、最強のマシンを組み立て、自己満足してみようと思っている。
コンピュータは私にとっては知的なおもちゃだ。それも高価なおもちゃだ。決して機械に使われることなく、生活を豊かにする道具として使い続けたい。
最後にコンピュータに関するジョークを紹介しよう。数年前、ある職場でコンピュータの前に張り付けられた注意書きだ。
『コンピュータウィルスが流行しているので、コンピュータを使う際は手洗いを徹底してください。』
新城静治
私が初めてコンピュータを購入したのは今から二十一年前で、海邦国体の二年前である。当時としては申し分のないコンピュータを、フルセット七十五万円で購入した。その頃同僚から、「みんなで買えば大きく割引してくれるそうだが、いっしょに買わないか。」と、一行表示のワープロ購入の誘いを受けた。二十九万八千円のマシンを五名以上で購入したら、二十五万円で買えるという。私は迷って、大学の先輩に相談した。時代の先を読み取ることに長けている彼いわく、「ワープロなんて買うな、これからの時代は、コンピュータだ。どうせ買うなら少々高くても、コンピュータがいい。」この一言で決心した。妻を説得して、数か月分の給与を注ぎ込んで手に入れた。定価百万円から、二十五万円を値切っての買物だ。十枚入りのフロッピーディスク一箱が、一万円以上もした時代だ。
最初は意気込んで、いろいろなプログラム言語を勉強してコンピュータを使いこなすつもりだった。しかし、プログラム言語をやり始めて、バカバカしくなった。労多くして、実少なしだ。その時悟った。ブームにあおられて、追随するのはバカげている。コンピュータは、自分が必要とする機能を使いこなせばいいということを。それ以降、自己流でこれはと思う機能やソフトを勉強した。分からないことや疑問が生じると、コンピュータ関連の本を購入して調べた。その頃同僚にマニアックな若者がいて、どうしても分からない時には、彼に電話で聞いた。延々と一時間以上もコンピュータと電話の間を往復しながら、深夜に教えてもらったこともある。携帯電話もない時代だ。
操作能力が向上するにつれ、仕事にも大いに貢献するようになった。名簿作りやいろいろな文書作成等だ。他機関に文書提出の際、こんなこともあった。コンピュータできれいに仕上げた文書を、担当者がまじまじと見て言った。「コンピュータを使えば、印刷屋並みのことが、それぞれの職場でできるようになるんですね。」
最近は、コンピュータを使ったプレゼンテーションは当たり前となっている。図表や写真を取り入れて、インパクトのある説明にするためだ。ただ、これも度が過ぎると、「ほら吹き」か「ユグリハイカラー」と言いたくなる場合もある。乏しい中身を誇張したり、体裁を繕ったりすることがあるからだ。
『コンピュータの生鮮食品化』という言葉がある。コンピュータは古くなると、すぐ役立たずになり置場に困る、ということだ。大枚をはたいて買ったコンピュータを、おいそれと生ゴミ同様にするわけにはいかない。メーカーに踊らされて最新のマシンに買い換えることなく、コンピュータを使いこなすにはどうするか。自分でグレードアップすることだ。そのためにはコンピュータの仕組みや各部品の機能を熟知することと、コンピュータに関する最新情報を常に入手する必要がある。いったん目を向けるとがむしゃらに追求した。その甲斐あって、今ではコンピュータの改造や組み立てが、なんとかできるようになった。コンピュータを自作すると安くつくかとよく聞かれるが、必ずしもそうではない。大きなメリットは、部品の使い回しができるため、経済的だということだ。
これまで、故障したものや型遅れのマシンをもらい、修理して使った機械がかなりある。こんな中古マシンだが、なだめ好かしている気分になり、愛着すら湧いてくる。ただ、このレベルでは最高速度六十キロの車を運転しているようなもので、飽きが来る。高速道路やオフロードを走ってみたくなると、物足りなさを感じる。そこで、今年の夏は奮発して、最強のマシンを組み立て、自己満足してみようと思っている。
コンピュータは私にとっては知的なおもちゃだ。それも高価なおもちゃだ。決して機械に使われることなく、生活を豊かにする道具として使い続けたい。
最後にコンピュータに関するジョークを紹介しよう。数年前、ある職場でコンピュータの前に張り付けられた注意書きだ。
『コンピュータウィルスが流行しているので、コンピュータを使う際は手洗いを徹底してください。』
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん