2006年10月01日
がじまん第110号
伊藤さんが語った戦争
夫の故郷、伊平屋に向かう船の中で夫はこんなことを話した。
「この美しい海に、六十年程前の戦争で日本軍の飛行機が墜落してね、浮きつ沈みつしている日本兵を伊平屋の人がくり舟で助けたんだ。伊藤さんといってね、その人は終戦になると一応東京へ帰ったんだが、色々と思うところがあってか再び島に来て奥さんと二人で暮らしている。その人の庭には戦友の冥福を祈る碑も立てられている。明日その人を訪ねて話を訊こうか」
私はうなずいた。
翌日私達は伊藤さんを訪ねた。
「こんにちは」
と言って門を入ると七十がらみの伊藤さんが出てこられた。しばらく島の暮らしの話をしていたが、やがて伊藤さんは戦争の話を語り始めた。
「この美しい景色が今でも僕の目には悲しく映るのです。特に冬の日のわたんじを見ていると、胸が締めつけられる感じになります。この海でもたくさんの人が死んだし、僕の友人も死にました。僕には自分ひとり生き残ってといううしろめたさがあります。それでここに家を建てて友人の冥福を朝晩祈っているのです」
伊藤さんが話を区切ると、夫が言った。
「お疲れでしょうが落ちたときのことを、話してもらえませんか」
「ええ、いいですよ。三月の終わり頃、伊平屋の上空で私と私の友人の田中の乗っていた飛行機は、アメリカ軍の放った弾に当って海に落ちました。落ちた瞬間どうしていたかは記憶にありません。気が付いてみると私は飛行機の機体の一部にしがみついていました。しばらくは何をする力もなく、ただ機体にしがみついていましたが、やがて落ち着いてくると『タナカー』と友人の名前を呼んでみました。『イトー』というかすかな声がしました。私は、『ガンバレ』と言いました。夕闇の中で友人が浮きつ沈みつしているのが見えました。けれどもそれはしばらくして波間に消えていきました。私は田中の消えていった方に向かって力一杯その名を呼び続けました。然し、友の声は再び返っては来ませんでした。辺りが薄暗くなってきました。遠くの方に目をやるとアメリカ軍の船の明かりらしいものが点々と列をなして浮かんでいました。空では爆音が鳴り響いています。空腹と恐怖感が私を襲いました。私は死にたくなかった。それであてもないのに『タスケテー』と叫びました。何十回も叫んだ後でした。一艘のくり舟が近づいてくるのが見えました。私はありったけの力を振り絞って助けを求めました。けれども舟は方向を変えて引き返していきました。そういう状態で一夜を過ごしやがて明け方、昨夜のくり舟に助けられたのでした」
私は田中さんの話を聞いている間、伊藤さんと島の人たちの優しい心に思いを巡らしていた。
仲川松江
夫の故郷、伊平屋に向かう船の中で夫はこんなことを話した。
「この美しい海に、六十年程前の戦争で日本軍の飛行機が墜落してね、浮きつ沈みつしている日本兵を伊平屋の人がくり舟で助けたんだ。伊藤さんといってね、その人は終戦になると一応東京へ帰ったんだが、色々と思うところがあってか再び島に来て奥さんと二人で暮らしている。その人の庭には戦友の冥福を祈る碑も立てられている。明日その人を訪ねて話を訊こうか」
私はうなずいた。
翌日私達は伊藤さんを訪ねた。
「こんにちは」
と言って門を入ると七十がらみの伊藤さんが出てこられた。しばらく島の暮らしの話をしていたが、やがて伊藤さんは戦争の話を語り始めた。
「この美しい景色が今でも僕の目には悲しく映るのです。特に冬の日のわたんじを見ていると、胸が締めつけられる感じになります。この海でもたくさんの人が死んだし、僕の友人も死にました。僕には自分ひとり生き残ってといううしろめたさがあります。それでここに家を建てて友人の冥福を朝晩祈っているのです」
伊藤さんが話を区切ると、夫が言った。
「お疲れでしょうが落ちたときのことを、話してもらえませんか」
「ええ、いいですよ。三月の終わり頃、伊平屋の上空で私と私の友人の田中の乗っていた飛行機は、アメリカ軍の放った弾に当って海に落ちました。落ちた瞬間どうしていたかは記憶にありません。気が付いてみると私は飛行機の機体の一部にしがみついていました。しばらくは何をする力もなく、ただ機体にしがみついていましたが、やがて落ち着いてくると『タナカー』と友人の名前を呼んでみました。『イトー』というかすかな声がしました。私は、『ガンバレ』と言いました。夕闇の中で友人が浮きつ沈みつしているのが見えました。けれどもそれはしばらくして波間に消えていきました。私は田中の消えていった方に向かって力一杯その名を呼び続けました。然し、友の声は再び返っては来ませんでした。辺りが薄暗くなってきました。遠くの方に目をやるとアメリカ軍の船の明かりらしいものが点々と列をなして浮かんでいました。空では爆音が鳴り響いています。空腹と恐怖感が私を襲いました。私は死にたくなかった。それであてもないのに『タスケテー』と叫びました。何十回も叫んだ後でした。一艘のくり舟が近づいてくるのが見えました。私はありったけの力を振り絞って助けを求めました。けれども舟は方向を変えて引き返していきました。そういう状態で一夜を過ごしやがて明け方、昨夜のくり舟に助けられたのでした」
私は田中さんの話を聞いている間、伊藤さんと島の人たちの優しい心に思いを巡らしていた。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん