てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第118号

2007年02月01日

がじまん第118号

こわい夢
安谷屋節子

 夏休み、久し振りにやって来た孫の女の子が、そのへんにのんびりと昼寝をしているわが家の猫をなでながらつくづくと言う。
「ねこはちこくしてもしかられないからいいね」
「ほんとにそうだね」 同感 同感――。
 小学校に上がって一番先にしつけられるのが「ちこくをしないこと」だったのを思い出す。“ねまきを着たまま、ランドセルを机に置いて教室に座っている夢”を、大人になってからも私は何度も見た。
 また、“ふとんから起き上がって、ほっと外を見ると学校への一本道には、もう誰も通っていない。チコクだ、どうしよう”と胸をどきどきさせている夢もよく見た。
 大人になってからでさえ時々あらわれる、そんな“学校と遅刻”への潜在的な恐怖は根強いものがあったのだなあ、と思う。
 汗びっしょりで朝礼に間にあわせた時など、ほんの二、三分で登校できる寄宿舎の友人がつくづく羨ましくなったものだった。

 もう一つ繰り返しよく見る夢――。
 これは昭和十六年に卒業して上京進学した後の緊張の体験が、トラウマのように繰り返し出現するのであった。
 親元を離れ、戦時の学徒動員体制が年ごとに強化されて行く都会生活。やがて男子の学徒出陣を神宮外苑に見送り、女子は軍需関係の仕事場へ、往復の時代となる。大混雑の大都会で、空襲避難、夜中の空襲警報、部署配置といった日常が続いていた恐怖が、やはり潜在意識の中に根強く張り付いているらしい。
 出てくる夢のシーンはいつも同じであった。空襲警報のサイレン、電車のガード下への避難、視野いっぱいに真っ黒な敵機の翼、やがて焼夷弾が一つまた一つと落ちて来る。
 ああ、私はこうして顔も知らない群集に混じって死んでしまうのだな、と胸が冷たくなる。首を縮めれば縮める程、火を噴いた黒い弾は近づいて来る――。つい七、八年前まで、全く同じパターンで、繰り返し出てくる恐怖の刻印であった。
 心の奥に刻み込まれた若い学生時代の孤独感が、こんなにも根強く私を支配していることに驚く。
 それにも増して、小学校、女学生時代の、とぼけた、いかにも夢らしい“真実感の恐怖”が、こんないい年になっても忘れられないとはと、人間一人一人のストーリーを根強く支配している“無意識の内に秘められたもの”を思わずにはいられなかった。
 “生きることって厳しいなあ”とつぶやきながら、また歩みだすのであった。


タグ :安谷屋節子

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん