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2007年07月01日

がじまん第129号

故里追憶
平野長伴

 長い間、故里を離れて生活していると、故里はおふくろの匂いがするとでもいうのか。久しぶりに尋ねて周辺に甘えてみたい気にもなるものだ。
 新北風(ミーニシ)が吹きすさぶ頃になると、故里宮古の空にはサシバが群れ飛び、島一面にサトウキビの穂花が揺れ、秋の息吹きが人知れず波うつのである。その頃、郷愁が心に燃え上がるのは、島の自然の息遣いがその素顔をあらわに見せてくれるからと思われる。
 年輪を重ねるにつれて、故里への想いがだんだんに募って、「尋ねてみたい」と思い煩うのは、追憶の根に触れて、それに酔い痴れたいという、それだけのことで心が洗われるからであろうか。
 故里宮古には空をひと跨ぎすれば行ける。けれども、それはなかなか叶わないものだ。
 去年の秋、小用があって故里を尋ねる機会があった。島の上空を飛行機の窓から、あれこれと思い巡らす。子供じみた仕草だと思いながらも、自分では抑えきれない追憶の思いに駆られるのであった。
 戦前、平良(ピサラ)には街の中央に少しばかり広がった商店街があった。住宅街は、苔むした石垣やガジュマル、福木などの茂みに包まれた赤瓦屋根や茅葺きの家々のたたずまいが、南国の陽光や青い空とよく似合っていたものだ。
 島人たちは、四季を通して明るい陽光の下で笑いを風に乾かしているような談笑に明け暮れて、街の雰囲気をまろやかに作り上げていた。
 家々の窓からは昼となく夜となく宮古上布を織る乙女たちの香りが漂っていたし、街のあちこちに砧(きぬた)の音がにぎにぎしく踊っていた。
 街並の風景や島人たちの生活文化は、長い歳月に培われたものであろうか、焦げ茶色に染まった歴史の色合いを感じさせるものがあった。
 久し振りに見る平良の街には、赤瓦の屋根はほとんど無くなり、白い石造りの建物群に変わり、ガジュマルや福木などの茂みは姿を消していた。
 通りを行き来する人々も、よそよそしい面持ちで通り過ぎて行く。この借り物のような街の息吹きのなかで、戸惑いと淋しさに揺れながら、ただ感情のおもむくままに追憶に浸っていたのだった。
 故里の秋は、北風に波うつサトウキビの穂花の銀波だけが永遠の営みを語っているに過ぎなかった。
 また、新北風(ミーニシ)に乗って南へと旅路を行く大小の雲達が、私の甘えの心を慰めているように思えた。


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