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2007年08月01日

がじまん第131号

早とちりの報い
金城光男

 日本人同士でも意思の疎通が円滑に行われるとは限らない。ましてや、言葉が通じない外国人との対話となると、行き違いがあって当たり前。それがどういう結果を招くのか、これは私の苦い思い出話である。
 エチオピアの季節は乾季と雨季に分かれる。雨季は六月から始まり九月十二日までには明ける。その日はエチオピアの正月に当たる。雨の降りっぷりは凄まじい。耳をつんざく雷鳴、会話をかき消す雨脚。ほぼ毎日やって来る。一、二時間で上がるが、下水が溢れ街は水浸しになる。停電も頻発する。気温は四度近くまで下がる。夜は暖炉が欲しくなる。テレビも観られず、退屈な気の重い季節だと思う。それゆえに、長い陰鬱な季節から解き放たれた時の、人々の歓喜は町中に弾ける。野山は雨季明けのシンボル、マスカルの花で黄一色におおわれ、正月を明るく彩る。
 殻を突き破って、私たちも一日自分でハンドルを握ってドライブすることにした。標高二千五百米のアジスアベバから七十キロ南東方向に車を走らせると、標高千五百米のソドレにたどり着く。アジスアベバの富裕層が雨季明けとともに繰り出す人気の温泉保養地である。郊外のドライブウェイは新緑が目に映えて瑞々しく、高度が下がるにつれて変化する植生が興味をそそる。窓を開けると、生暖かい、酸素の濃い風が吹き込んでくる。身も心も解きほぐされていくのが実感できる。
 ソドレに近づいて来るころから、沿道のあちこちに、自生するモクセンナの潅木が目についてくる。満開の黄色い花が、休耕地が広がる単調な農村地帯に季節感を醸してくれる。ついカメラに手を伸ばしたくなって、車を停めて外に出る。と、都合よく、三十メートルほど先の立木の下に、仕事の手を休めて、農民が一人、こちらを見て立っている。背景として申し分ない。ファインダーを覗きながら、シャッターに指がかかったその瞬間。彼がなにやら大声で喚きだした。私の知っている言葉ではない。「肖像権を楯にチップを要求する手合いだ」、と私は早合点した。「お前じゃない! 花を撮っているんだ」と怒鳴り返す。せっかくのルンルン気分を台無しにされて正常心を失った。相手を睨みつけながら、急発進してその場を離れた。暫く走って気分が治まってきたところで、運転手に、男が何を喚いていたのか聞いてみた。
 なんと!「とうもろこしを持って行かんか」と言っていたという。「えっ? 金をよこせ、じゃなかったのか?」何と言うことだ! 私は、農民の優しい心遣いを踏みにじってしまったことに始めて気が付いた。私は自分の人間性の卑しさと想像力の貧しさに憤りを覚えた。引返して謝りに行くべきだと思ったが、もう遅い。車はかなり遠くに来てしまっていた。絶え間なく襲ってくる自己嫌悪の中で「バカヤロー」と奇声を発しながら後悔と自責の念に耐えなければならない一日となってしまった。
 外国で生活していると、こういう思い違いは絶えず起きている。私は、幸い、運転手のお蔭で真実を知り判断を修正する機会が与えられた。しかし、多くの場合、相手を傷つけ、偏見を定着させる加害者になっていく。今頃は、「エチオピア人は、カメラを向けても金をせびるんだよ」と、得意になって喋っていたかも知れない。


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