てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第134号

2007年10月01日

がじまん第134号

チリとごみはどう違う
島元巖

 季節の移り変わりは速い。九月二十日のテレビ(NHK)は、北海道の、大雪山系のウラジロナナカマドが、紅葉を始めたことを伝えていた。少々せっかちな私は、あとは、「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」か、と、「散る」紅葉に思いを馳せていた。
 ところで、辞書の中の辞書といわれる『大言海』を紐解き、チリ(塵)を調べてみると、チリ(塵)の原義は「散り」だという。「散る」という動詞からできた名詞である。
 「散る」については、いろいろと感慨深いものがある。「散る桜 残る桜も 散る桜」という句がある。「色は匂へど散りぬるを」ともいう。チリ(塵)が、桜の「散る」や紅葉の「散る」などと同根だとすると、ややもすると、汚物扱いされがちなチリ(塵)のイメージも一変するのではないだろうか。
 「チリ」というと、一般的には、紙くずのチリや、粉末状になって飛び散るもの、きたないもの、「あくた・ほこり・ごみ」等の意で使われることが多い。そこから、「世間のよごれ」という意味の「俗塵」という言葉も生まれてきたと思われる。その限りにおいては、「チリ」と「ごみ」は類義語だといえよう。そして、わが国でいう「チリ」は「散り」で、「塵」なのである。
 『老子』には、「和其光 同其塵=その光を和らげ、その塵を同じくす」とある。老子哲学を代表する「和光同塵=わこうどうじん」ということばの出典である。旧約聖書の「創世記」には、主なる神は、土のチリ(塵・dust)で人を造りたもうた、とある。ということで、チリ(塵)は、高尚な哲学用語や神への言葉へと昇華する。
 さて、一方の「ごみ」であるが、通称「廃棄物処理法」という法律にも登場する言葉である。各家庭から出る生活系廃棄物や「し尿」及び商店や事務所から出る事業系廃棄物を、一般的には「ごみ」という。くず・食べかす等、きたならしく、役に立たないものをいう。「チリ」が「からっとした」イメージなのに対し、「ごみ」には、じめじめしたイメージがつきまとう。この語の語源ははっきりしないが、『大言海』によると、「塵込み=塵が積もること」の上半分が省略されたものだという。だとすると「込む」の連用形の名詞化ということになる。電車が「込む」といった場合の「込む」である。しかし、それが、どうして「ほこり・あくた・不要になって捨てるもの」といった意味を持つようになったのか、そのへんが、よく分からない。
 ともあれ、「ほこり・あくた・くず」といった意味では、「チリ」と共通するところもある。しかし、「ごみ」には汚物のイメージがあり、不潔感が漂う。そのへんが、「チリ」との大きな違いであろう。


タグ :島元巖

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん